欲求を使う。欲求に使われる。
欲求とは人間が生きる上での礎であり、動力の源泉でもある。問題なのはそれを使うのか、使われるのかではないか。
2014-12-22 06:34:33
入力時間 / 09:05
無職になってから欲求と闘う日々を送ってきたが、欲求はうまく使えば大きなエネルギーになることが7年目にしてようやくわかった。つまり「欲求に振り回され、欲求に使われる」か「欲求を理解し、うまく欲求を使う」かが大事だってことだな。お恥ずかしい話だが35年生きてきてこの発想に辿り着かなかった。毛嫌いしていた欲求のことを。
欲求とは主として自身の本能が求めるもの。つまり決して不自然なものではない。しかし、本能が求めるものが即ち最適なものであるとは限らないのが難しいところ。例えばジャンクフードなんかは生理的欲求に働きかける成分で構成されているが、身体にとって決してよいものとは言いがたい。美味いけどね。
つまり身体や心が何かを欲する時に、それをうまく理性・知性によって方向舵を切ることができれば、そのエネルギーは大きな糧になるんじゃないかなと。いや、なんか当たり前の話をつらつら書いている気がしますが。少なくとも私にとってはちょっと目からウロコが落ちるような発見だったのです!
簡単に言えば欲求をマネージすればいいってことだよな。先日書いた制御可能性や操作の話じゃないけれど、自分自身の欲求を掌握・支配して操作すれば、きっと我慢や忍耐といったネガティブな方向に舵を切ることなく、ポジティブにエネルギーを昇華できるんじゃないかなって。
欲求変換みたいなものと言うのかな。なんかそういうアプリケーション欲しいなぁ。うまく欲求を管理したり変換できるやつ。欲求が持ってるエネルギー量って凄まじいものがあると思うんですよね。それを正しく効率的な方向に振ることができたら無敵じゃないっすか。
欲求マネージ。いいね。appetite manage。なんかそういうの作りたいなぁ。
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