無くならない武力とテロリズム
情報化社会がどれだけ進化しても武力とテロリズムは無くならないのか。
2008-12-01 17:13:40
入力時間 / 23:25
なぜ核を持つのか。それはやっぱり人間が馬鹿だから。お互いがお互いを牽制しあう必要があるから。
いっそのこと白旗を降ってしまえばいいと思う。軍備に税金を使うよりは福利厚生に税金を使うことが本筋だと言うことはきっと全世界の全ての人間がわかっている事。でもそれが出来ないのは相互理解が成されていないため。わかってる事を出来ない事は勇気の無いこと。「義を見てせざるは勇無きなり」という事ですよね。国家と言う途方も無く大きな組織では勇気もくそもありませんが、やはり人類と言う視点から見た場合やはり悲しい事です。
政治家が小学生だったら
他国に「ほんっとマジ軍備とか持たないから攻めてきたら誰か助けてっ!」と言えるのではないか。備えあれば憂いなしと言うが、備えることにより国民が貧窮するのはどうか。しかも軍備拡充は決して生産的な行為ではない。むしろ非生産的な行為だ。兵器開発は別だと思うけど。でも全世界に対して軍事力においての白旗をあげればそこに攻め入ろうとする国はないんじゃないかな。中国とか北朝鮮はわかりませんが。ま、そこが問題なんでしょうけど。
格差社会とテロリズム
今後もきっと埋まることの無い格差。その格差がある限りテロはきっと消えない。その格差を無くす方法はないものか。経済性の格差は国・地域で日に日に増すばかり。日本もそう。でもそれはある程度仕方の無いことですよね。共産主義ではないんですから。それでも資本主義はいつか終末を迎えるでしょう。より高いレベルでの共産主義がやはり理想なのではないか。まぁありえない話ですがそれこそコンピュータによって制御されるような。SFの世界みたいだな。でもやっぱり究極の理想は共産主義と資本主義の融合ですけど、無理ですよね。でもきっといつかそうなるだろうな。もしそうなって国家の枠組みが無くなればきっと今のようなテロは起こらなくなるのではないか。
インターネットと国家無き世界
というか絶対来るであろう未来として国は無くなりますよね。歴史・文化などなど、いろいろあるとは思いますが、最終的に行き着くところにそれらは現存している必要は無いし。デジタルアーカイブとして全てがインデックスされる頃、歴史・文化はブラウザ越しに閲覧するものになっているかもしれない。国家がなくなれば敷居なく地球と言う大きな資源をもっと有効利用できる。地域毎により効率的で特化した産業を展開できるし、技術や情報を全世界で共有化できたらどんなに素晴らしいことだろう。それがオブジェクト指向ってもんですよね。インターネットという閉鎖された世界ではまさにそういう方向へと向かっています。個人から世界へ。世界から個人へ。One for World.and World for One.ってとこでしょうか。
結論
少なくとも私の存命中に武力やテロリズムが無くなる事はないでしょう。ちょっと悲しい。地球の資源がもうすぐに枯渇すると言われている中で、軍備やテロに資源を使う人類はやはり愚かだ。これだけバーチャルやシミュレートの技術が発達しているのに、いまだに物理的な抑止しかできないのは悲しい限り。戦争・紛争・テロリズム。全部セカンドライフの中でやってくれればいいんですけどね。っていうかGoogleがそういう世界情勢の縮図戦略ゲームみたいなのを作って、その中で外交すれば面白いのに。世論の声も取り入れやすいし。物理的資源浪費をしなくてすむ。21世紀っぽいしね。
でもやっぱり平和な日本に生まれてくることができて本当によかったと思う。
福田さん好きだったけど、麻生さんにもぜひ頑張っていただきたい。がんばってね太郎。
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