和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

心がくじける原因

和田クラスになると前触れもなくへこたれる事がままあります。

2011-08-25 05:38:10
入力時間 / 21:15

特にこれといった理由は見当たらないのですが、ふとした瞬間にへこたれる場合があります。私のメンタルが弱いからかもしれませんが。そんな心がくじける原因を考えてみよう。

自分には二人いると私は思います。社会的人格と内面的人格の二人。心がくじける場合、このどちらがへこたれたかによって要因は大きく変わると私は思います。社会的人格とは社会という世界で生きる自分。私の場合であれば「和田憲幸」という名前で立ち振舞っている自分がそれに当てはまると思います。内面的人格はその社会的人格の外側にいてそれを静観している自分ですね。この2者は同一人物ですが、思考や思想・目的に至るまでまったくの別人と考えてよいと思います。

社会的人格に関しては、人間関係や仕事などの因果によって心をくじかれることはあれど、自己同一性によってその推進力を阻害されることは極めて考えづらいため原因の特定は比較的容易だと思います。社会的人格は存在理由そのものが社会からもたらされるため、そのこと自体に悩む必要もありませんからね。

問題なのは内面的人格の心がくじけた場合。
途中まで書いてて自分でもわけわからんこと書いてるなと自覚はしてますから大丈夫ですたぶん。

例えば私の場合であれば「プログラム書いて楽しい」と感じるのは社会的人格の方であり、内面的人格が「プログラムを書きたい」と思うわけではありません。社会からもたらされた価値観や時代の潮流によって能動的に振舞っている自分と、社会と隔絶した場所にいる内面的な自分の目的は決して同一ではない。その同一ではない事への戸惑いが少なくとも私の心がくじける原因だと私は思っています。というか今そう結論付けてみた。

内面的な自分にとっては生きる理由や、やりたい事など見当たらない。なので何のために生きているのかわからない。という瞬間が私にはたまにあります。そのため社会的人格よりも、内面的な自分の占める割合が大きい場合にどうやら私は心がくじけるようです。挫けるというよりは戸惑うといったほうが適切かもしれない。

例えばゴルフで自分のスイングを忘れる事ってありますよね。前のホールまではバチコーンとインパクトしてたのに突然ダフりまくり。みたいな。当たり前にできてた事が突然できなくなる感じ。感覚的な事が感覚的に捉えられなくなる感じ。あ~説明しづらい。

まぁ何かしら心がモヤモヤした時は自分はふたり居ると考えるとわかりやすいかもしれない。
必ずしも自分はひとりではない。特に社会が高度で複雑になった現代においては。
もちろんこれは私だけの話かもしれませんけどね。

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