和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

神様から借りた時間

人生って神様から時間を借りる事だと思う。という話。

2011-04-18 04:46:49
入力時間 / 18:11

こうして生きているとまるで自分の命は自分のもの。なんて錯覚しがちですがそれは違うと私は思う。この命、すなわち時間はTSUTAYAでエロDVDを借りるのと同じように一時的に時間を借りているのだと思うんだ。

人それぞれレンタル期間は異なるけれど、どんな人にも必ず返却が待っている。例えその人生を手放したいと思う思わないに関わらず、生あるものは必ずその生を返さなくてはいけない。つまり命は自分のものではない。

ではこの命は誰から借りているのかというと、私は神様から借りているのだと思う。

もちろん私は無神論者なので神様なんて信じてません。ここでいう神様とは自分の精神や思考を除いたすべての事。というのを神様と表現してみました。というのも自分から見たときに確かなことは自分の精神しか無いから。

不可知論的には自分の精神以外、例えば自分の肉体だって自分の掌握下には無いわけだし、自分の精神が存在しなければ独我論的に考えるならばそれらは存在しないに等しい。という事からそれらは神様みたいなものですよね。

そんなわけで気づいたときには時間を借りているわけですよ人間は。でも返さなやいけない。やっかいな事に返却日は決まっていない。神様が返せって言ったときに返さなきゃいけないルールなの。でも、返すこと自体は決して覆らない決定事項。それが人生をちょっとだけ難しくするのかなとも思う。

もしもTSUTAYAのエロDVDのように返却日が決まっていたら、きっと人生はその様相を大きく変えるだろう。でも返却日がわからないからきっと人生はおもしろいんだろうね。今日とも明日とも知れない返却日。返却のお声ががかかるまでドキドキしてるわけでもない。ただ、この借りた時間を楽しめばいいんだろう。

人間はもっと死を考えるべきだと私は思うんだ。そして死は悲しむべきでも忌むべきでも無く、迎え入れるべき対象だと私は思う。なぜならば命は借り物であって自分のものではないから。

名残惜しいけれども。でもそれは世界から、神様から一時的に借りたものだから。
いつかは返さなきゃいけないものだから。

もっと死を身近に感じて、備えておきたいものですね。返却日にあとを濁さぬように。
なんかちょっとロマンチックなこと書いちゃったな。

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P.816

Takuya Fujiさん
なんか最近「生きるのがメンドクセーな〜」と思っていたところ、素晴らしい解釈に出会いました。
で、比較する例がTSUTAYAのエロDVDというところが、イメージを持ちやすかったのがありがたいです。
「なるほど」です。
ありがとうございました。2011-04-19 13:50:24
和田
>Takuya Fujiさま
生きるのメンドクセーとは私もいつも思っています(笑)そうやってメンドクセーって思う事も生きているからなんだろうなぁとポジティブに解釈しておりますが。でもほんといろいろメンドクサイですよね(笑2011-04-23 23:38:02