何をやって生きるのか
物心ついた頃から「人間は何のために生きているのだろう」と考えることが多い和田です。まぁそんな疑問には当然答えなんてあろうはずもないのですが、「何のために生きるか」よりも「何をやって生きるか」が大事なんだろうなぁと感じるようになりました。
2016-01-19 13:08:49
入力時間 / 12:09
「何のために生きるのか」と問われれば「何のためでもない」というのが適切な回答なんじゃないかなと中学生の頃からわかってはいるんですが、ふとした瞬間に考えちゃう和田です。
私は「生業(なりわい)」という言葉が好きです。生きるための業(わざ)と書いて生業。人間も動物も生きるためには業が必要ですからね。「生きる」ことは前提として、その生きるためにどういう過程を取るかという話ですよね。
そういう意味で主観的に考えると「生きる」ことそのものよりも「どうやって生を繋ぐか」という過程のほうが人生という長い道のりにおいてはモチベーションや楽しさを得るために大切なのかなと37歳を眼前に控えて思うわけです。
仕事をしていてふとした瞬間に楽しいなぁと感じます。無論楽しいなと感じるのは極々稀ですが、少なからず楽しいと感じることができる事を生業とできたことは至極幸福なことだなと思うのです。
今後、WebやIT産業が衰退して賃金が大幅に下がる時代がそう遠くない未来に訪れるでしょう。AIの進化によりプログラマやSEは多くの仕事を奪われ、AIがやらない・できないような事を「やらされる時代」が来るんだろうなとも思います。
それでも私はこの仕事がやっぱり好きなんだろうな。私はWebやプログラムで口に糊できればそれで幸せなのかもしれない。好きなこと、楽しいことを生業とできたのだから、それ以上を求めるのは罰当たりですからね。
すべての人が所得や待遇を考えずに、自分が好きなことや自分が楽しいと思えることを生業とできたなら、きっと世界はもっと住みやすくなるんじゃないかな~とこの頃頓に思うのです。
生きる目的もあったらいいですけど、生きるための手段も大事ですよね。
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