愚行権という言葉に出会った
年始早々、幸先がいい。ニュースを見ていたら愚行権という言葉に出会った。新しい言葉との出会いってなんか嬉しいですね。
2015-01-06 01:25:08
入力時間 / 16:23
為末大さんのコラムで「愚行権」という言葉に出会った。お恥ずかしい話だが35年間、一度も耳にしたことが無い言葉だった。愚行日本代表の私としては当然調べる。
なにこれ!俺のためにあるような権利やん!!すごいピッターン!ときた。それは社会的マイノリティである私が常日頃から思っていることのほぼ全てが記された権利だったので。リベラルな人間は最終的にやはりこういう所に辿り着くんでしょうねぇ。
で、愚行権の説明はwikipedia先生にお任せするとして、右に倣えの日本では特にこの権利が行使しづらいなと35年間私も思い続けてきました。なにせ人と違う事がダメとされる社会ですからね。そりゃ個性も埋没しますわね。
そんな社会でも(よくもわるくも)個性を発揮できるのって馬鹿なんですよね。賢い人は個性を殺してしまう。だってその方が効率的だから。もちろん真に賢い人はそれを踏まえた上で、個性に行き着くのだと思いますが。変だ変だと言われ続けて35年。社会から見た時の私が変であるという自覚はありますが、私から見た私は常に正常です。
社会から見た時の自分なんて実際どーでもいいんですよね。自分から自分がどう見えるかが大事なのであって。ジョブズの「Stay hungry, stay foolish」じゃないけど、社会から愚か者と見られる事を恐れちゃいけないし、厭ってもいけない。自分の行動・言動・判断に自信と誇りを持って生きないと人生もったいないっすからね。
そういう意味では愚か者で結構ですよね。ということを踏まえてもう一度反芻すると「貪欲であれ、馬鹿であれ」って本当にいい言葉ですね!今年も愚行権つかっていくでぇ!
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