幸福は結果ではなく過程で得られるもの
これだけ恵まれた国に住んでいるのに幸福だと思わない阿呆が多いようですが、なんでなんだろうと考えてみる。
2014-11-12 03:46:02
入力時間 / 17:18
日本人の「幸福度」は先進国で最下位だそうです。これだけ豊かで平和な国に住んでいるのに幸福を感じられないなんて悲しい事ですよね。長引く不況のせいなのか、労働・激務のためなのか。いずれにせよ幸せは与えられるモノでも与えるモノでも無いと私は考えている。
私は思うのです。幸せとは結果に対して得るものではなく、過程に対して得られるものだと。とかく日本は結果を偏重する指向が強い。勝ち組だとか負け組だとか、何かしら結果のみを評価して幸不幸を判定する人が多い気がするんだ。収入の多寡で幸福になれるのであれば、日本人はみんな幸せでいいはずだろうからね。
例えば年収1000万で好きじゃない仕事をしている人と、年収200万でやりたい仕事をしている人なら私は後者の方が幸せだと思う。何故なら収入・所得とはただの結果で、どちらがその過程が楽しめているかどうかは火を見るよりも明らかだろう。
しかし大衆は幸福を求めて高収入を希求しがち。でもその先に幸福はあるのかな。過程を楽しめないのであれば、結果を手にしたとしても幸福と言えるのかな。過程とは現状であり現在と同義。未来につながる現状・現在を楽しめる事は幸福の最短距離なんじゃないだろうか。例えその先にある未来が他人の誰かより劣っていたとしても、過程が楽しめているのであればそれは幸せなんじゃないだろうか。
手取り13万とかで働いていた時期があった。でもそこに不満は無かったし、不幸だと感じる事も当然なかった。「身の丈を知る」という言葉があるが、その時の私にとってそれは分相応だったのだ。分相応であればそれを不遇とも不幸とも感じないのは自明の理。
目標や目的を持つことは大事だが「結果を求める」事とは似て非なるもの。結果のみを求める事によって過程が楽しめないのであればそれは不幸なこと。以前も書いたけど「幸福か不幸か」は「気づくか気づかないか」の違いしかないと私は思っている。
この世に生を受け思索を馳せる、ただそれだけで十分幸福な事なんですけどね。
お金とか物とかに目を奪われる事はとても悲しいことですね。
幸福に気づけ無い人には「人生はそう、一杯のコーヒー」を読んで貰いたいものです。
TAG
P.1623