やるとやらないの境界線
「やる」と「やらない」ってすごく境界線が曖昧で、でもその選択によってもたらされる結果は大きく違う。
2013-08-25 22:04:38
入力時間 / 08:53
「やればいいのに」と思う。もちろん自分に対してだ。しかし「やらない」のだ。義を見てせざるは勇なきなりという言葉があるが、私にはやはり勇気が足りないらしい。しかし、この言葉が遥か古より伝わっているということは、この「やる」と「やらない」という選択肢への葛藤は古代より人間にとってのテーマなのかもしれない。
ではなぜ「やる」という選択肢が圧倒的に正しいと理解しているにもかかわらず「やらない」を選択(または無意識に)してしまうのか。無職になってからの5年間はほぼこの「やらない自分」との戦いの日々と言っても過言ではないのだ。
それは意志かもしれない。それは精神かもしれない。会社に勤めていれば否が応でも「やること」は管理者によって「やらざるを得ない」状態がつくられる。合理的なシステムだ。しかし無職にとって「やること」は必ずしも「やらなくてはならないこと」ではない。必須じゃないんだ。それがより歩みを鈍らせる。
ではどうすれば「やること」を必須にできるのか。管理者を設けるのもひとつだろう。何かしらペナルティを自分に課すこともいいかもしれない。しかしどれをとっても自身の基盤であり根底とも言える精神の成長には繋がらない。自発的にそれを無意識に選択できるようにならなければ意味が無いと思うからだ。
毎度のことながらこれをプログラムでどうにか解決できないかと考える。簡単に言えば「やること」と「やらないこと」の各選択肢の先にある結果への理解不足とでも言おうか。いや、理解していないわけではないのだが、天秤にかけた際に「やらない」に傾く理由や動機をしっかり潰せればよいのだ。
誰かと比べてではなく、単に先を考えてでもなく、自身がやりたいと望み、その前を求めるからやる。その動機を明確にできれば、最善の一手を常に選択し続けることができるんじゃないかな。タスクを管理する上で、単にタスクを表面的に見るのではなく、その深層を理解した上で判断できるようになるようなプログラムを作りたいねぇ。
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