和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

自殺を考える

自殺をしたらどうなるのか。天国に行くのか、地獄に行くのか。

2013-01-23 14:34:50
入力時間 / 17:53

まぁ自殺後にどうなるか、なんて死生観や宗教観によるところが大きいと思うので答えはありませんが、多くの宗教で自殺は地獄行きです。まぁ天国とか地獄とかが本当にあったらの話ですけどね。私の死生観に基いてお話をさせていただくのであれば、当然天国も地獄も、思考も感覚も何も無くなる。ただそれだけです。

自殺をして何が変わるか

答えは何も変わらないでしょう。変わらないというより、何も無くなるのですから。苦痛も、辛さも、何もかも。それを解放と受け止めるかどうかは自殺を検討している方の判断力に委ねられると思いますが、自分が消えてしまうというのはスゴクもったいない事だと私は思います。以前も書きましたが、こう考えて見て下さい。観たかった映画をTSUTAYAで借りてきて、プロローグだけ見て返却しちゃうようなもんです。その先が見れなくなっちゃうということです。

苦痛、辛さ、しんどさ、痛みはすべて幸福

私はこう苦痛だとか、自分が嫌悪する物事を転じて幸福だと捉える事ができる菩薩のような人間です。なぜならそれらが「生きているから得られる感覚」だということを私は知っているからです。私が思考を失い、死んでしまえば、そういった感覚すら得ることはできないのです。

苦痛や辛さはすべて信号に過ぎない

ツライとかもうヤダ!とか、そういう感情・心理は、すべてある種の信号に過ぎません。脳が発する現状にたいする警告みたいなもんですよね。痛みとかもそうですけど。だから、実は辛くない。「あの時はつらかった」って記憶を未来の自分が思い出した時の多くは笑い話になるもんです。または、その辛さ、しんどさが未来の自分の糧になっていることに気がつくものです。

苦痛を楽しめる領域に達するのは若い人には難しいかもしれませんが、苦痛があるから幸福があるわけでして、寒いから熱々のラーメンが美味しいわけでして、人生を楽しむというのはその苦痛をひっくるめて楽しむものなんだよって33歳のオッサンは思うわけです。

私も過去に何度も自殺を考えたことがあります。いや、あんまり真面目に考えたことはありませんが。決して未来に希望を持っているわけではないですが「考えることや表現することができなくなる」というのはやっぱり怖いです。怖いっていうかいつかは来るんですけどねその日が。だったら自分からその日を早める必要はないじゃんって思うんです。返却日がくれば誰しもが例外なく返すものですからね命は。

基本的に生きるってことはしんどいです。だからこそ、そのしんどさの中にイイコトがあったら嬉しいんです。死んだらシンドイもイイコトも無いんです。何にも無くなっちゃうんです。それは本当にもったいないことなんです。

命を大切になんて言いませんけど、せっかく偶然もたらされた「期間」なんだから、もったいないことはしちゃダメだぜ。

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