使うと疲れるインターフェース
Androidの時も、Windows8の時も感じたんですが疲れるんですよねUIのせいで。
2012-11-24 13:49:18
入力時間 / 18:32
Android Nexus7の時もWindows8の時も感じた「使うと疲れる」という感覚。この感覚は何が原因でもたらされるか。「使って心地良い」と「使って疲れる」は恐らく対極に位置する。「疲れないインターフェース」とは使い勝手の良いインターフェースだろう。
思索・理解を要求するUI
パッと眼前にそれが広がった時に、脳が瞬時に挙動・役割を理解できないUI。これは疲れる。なぜなら「目的があって」→「操作する」という流れが「思索し理解する」というアクションによってインタラプト(妨げられる)されるわけだ。なので「疲れる」し「面倒くさい」と感じる。「その面倒くささを乗り越えて使おう」という熱意がない限りは興を削がれる印象だ。
目線が飛ぶ
目はとても疲れる。目がつかれると脳も疲れる。よって目線をアチコチに移動させなければならないUIはとても疲れる。ゴチャゴチャしてたり、ルールが曖昧なUIは目の移動がものすごくしんどい。人間は目線の動きなんて意識することは無いが、1画面に対しての情報量が多い場合や、UIのルールが曖昧で不正確な場合は目を酷使しなくてはならないため使用後に疲れが出る。ゴチャッとしたWebサイトを目の当たりにした瞬間に「うわっめんどくせぇ」と感じる事は無いだろうか。まさにそれだ。ようは「読み取るための労力」を必要とするためだ。無意識にではあるものの、目を動かし、要点を自身の意識によってピックアップしなければならないという労力だ。これは本能的にかなり面倒くさく感じる。
故に直感的なインターフェースが求められる
上記のような理由から書籍をめくる事を無意識に実現できるようにUIには「直感的」という要素が求められているわけだ。つまり使用者が疲弊しないための配慮だ。これは「若者には当てはまらない」かもしれない。若者はその知的好奇心から徒労・疲弊を物ともしないためだ。
まったりダラダラ使いたい
私は時としてコンピューティングをまったりダラダラしたいと考える。思考や意識を排除し、ダラダラと無意識でコンピュータに接したいと考える事がある。ようは「仕事以外でまで頭使いたくねぇ」という感覚とでも言うのかな。私がタブレットやリビングPCに求める要素はまさにソレで、疲弊することなく使えるコンピュータを求めている。そしてこれは多くの人間が同様に考えているはずだとも思う。
本を読む時、コーヒーを飲む時、タバコを一服する時。マッタリしたい時に人間は脳の活動を可能な限り抑制したいと願うだろう。使うために疲労を要求するUIはプロフェッショナルに求めるべきであり、コンシューマに対してはマッタリ使うためのUIを心がけるべきだと私は思うのだが。
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今のところ無いんじゃないですかね。Google Glassなどのウェアラブル系が一番近い位置にいるのかもしれませんね。2012-11-24 14:31:03