和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

なぜパソコンが使えるのか

気がついた時には当たり前に使えていたパソコンだが。

2012-10-13 04:36:15
入力時間 / 18:39

よく「どうやったらパソコンに詳しくなれるの」と聞かれるが、私はその問いに対して明確な答えを返す事ができない。なぜなら「いつの間にか使えるようになっていた」ためだ。パソコンやガジェットを愛する多くの人も同様だろう。ようはその事に興味があり、使っていたら勝手に覚えた。というわけだ。

パソコンを持たない人や活用しない人たちがいる。私はそれが勿体ない事だと思うんだ。「こんなに多くの事ができる魔法の箱をなぜ手にしないのか」と。しかしこの考え方はパソコンを活用している人間の勝手な道理で、多くの人は「パソコンを使うこと」に労力を費やそうとは思わないらしい。

私はパソコンが好きだ。ガジェットが好きだ。好きだから調べるし、好きだから学ぶ。それが当然であるかのように。でも現実問題としてWeb関連やデザイン関連の企業の中にでさえコンピュータに疎い人間がいるのを過去に多く目にしてきた。そういった輩はコンピュータから恩恵を受けているにも関わらず愛さないし学ばない。

でもそれはどうやら特別珍しい事ではないらしい。本質的に人間は自分の興味対象外のものを愛さないし学ばない。だからこそ学ぶことを前提としたパソコン業界は今、衰退の一途を辿っている。こんなにも可能性のあるパソコンがだ。

だから私はタブレットに期待している。スマートフォンに期待している。パソコン程では無いにしろ、素晴らしいコンピューティングデバイスとして、より多くの人がコンピューティングの世界に戻ってきてくれる日を待ち望んでいる。すべての人が等しくコンピューティングの恩恵を受けられることは、大袈裟に聞こえるかもしれないが人類の飛躍になると思っている。

私はコンピュータを愛している。そしてより多くの人にコンピュータの魅力を知ってほしいし、愛してほしいと願ってやまない。自分の手足を動かすように、呼吸をするように、技能を得ることなくコンピューティングできる時代はきっと、今よりもずっとクリエイティブな時代になるはずだから。

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コ。さん
コンピュータとかパソコンとかとクリエイティブとは関係なくね?
クリエイターはそんなん無くてもクリエイターだべさ?
道具に過ぎないパソコンは、道具としてのあり方が問題なんじゃね?
フォークとナイフ、スプーン、箸、鉛筆、定規、メモ・・・そんな道具たちですらいろんな形があるし
プロの使う物や子供が使うもの、ユーザーだっていろいろいる。
パソコンもそれぞれに適したあり方があっていいと思う。
だからタブレットができたのかも?
そう見ると、マニアックな人やプロ、ヘビーユーザーなんて本当に少なかったんだろうね。
作り出す人が少ないんだから、パソコンが必要な人も少ないんだと思う。
パソコンはクリエイターの物という位置づけ。

なんにも考えずにサクッと欲しい物を得られるというのはクリエイティブな事ではない
いろいろ考えて形にすること難しいと感じる人が多いんだから、パソコンはごく一部の人の物なんだと思うってこと。

あ、夜遅くに人のブログに長文のコメントかいちゃったwごめりんこ。
しかもわか分からんしwスルーよろしく!2012-10-15 02:00:26
和田
>コ。さま
いや、私はコンピュータとクリエイティブは密接に関係していると思います。なんというか、今までコンピュータでの創作は技能を得た一部の人間の仕事であり娯楽だったと思うのですが、例えば初音ミクやGarageBand、iMovieのように一般大衆でも創作をできる時代はすでに来ているのではないかなと(それがアマチュアレベルであったとしても)。

なんて言うんですかねぇ。レゴブロックみたいに誰でも自分の脳内を表現できるというか。表現すること自体の敷居が下がるというか。今までは一部の人しかできなかったことがより大衆に近づくというか。私もナニを言っているかよくわかりませんが、どんな感じになるのではないかなと。

もちろんプロフェッショナルはそれとは別に邁進・研鑽していく事になるんですが、ファミリーレベルやアマチュアレベルがプロフェッショナルを志すキッカケというか、足がかりというか、そういう敷居の低さというのが今後求められてくるのではないかなと思います。2012-10-15 02:06:19
hageさん
これは人々の生活に自動車が登場したような感覚で解釈すればいいのでしょうか。
しかしながら、良くも悪くも多くの企業は道具に頼らず力技で経営してしまう傾向があります。

もし自動車なら? 運転できない人が少数派。現代ではそれだけの事です。
コンピュータが違うのは、近年の変化に対して職業や学問の歴史が浅いところかもしれません。

かつてのコンピュータはプログラミングが難しく小規模のソフトウェアにも価値がありましたが、
今は難易度は別としても、魔法ではなく大量に人員を投入する人海戦術になってきています。
もちろん人海戦術を望みません。
一般化するという事は、大量生産に切り替わった工場のように良くもあり悪くもあります。

もし自動車のような歴史を歩むとしても、メーカーを支える小さな町工場にも創造性(クリエイティビティ)があるでしょう。
未来のコンピュータが箱型なのか脳波入力なのかパソコンと呼ばれているのかさえ予想できませんが、時代が変わっても似たような話題があると思います。2012-10-23 05:22:51
和田
>hageさま
コンピュータというのは自動車のような「移動手段の一種」ではなく「移動手段全体」と捉えたほうがよいかもしれません。今までのコンピュータは移動手段で例えるならば飛行機のようにごく一部の限られた人のみがその運転を許されるものでしたが、タブレットやスマートフォンなどはさしずめ自転車や自動車のような一般消費者レベルに目線を下げたものである。と捉えると良いのではないかなと。

今までは誰かに頼まなければ移動できなかった人たちが、もっと遠くにいけるようになる。というような感覚でしょうか。2012-11-04 03:20:17
小城りょうさん
社内SEをやってるものですが「パソコンなど覚える気がない」と自らの責任範囲の事務作業を「覚えたくないパソコンが必要だから」と放棄している同僚に困っていて、みなさんどうやって工夫してるのか検索してまわってて偶然拝見しました。
古い記事にコメント失礼致します。

ぼくは子供時代にWindows3.1で初めてパソコンに触れた世代ですが、それまで田舎に住む中学生がアニメーション制作だったり印刷物を作ったりとかそれまで「その活動をする部が学校にある」「その仕事をする会社に就職する」という条件を満たす必要の会ったことを本人の技量の習得次第で可能にする道具であることに魅力を感じていました。
田舎の中学高校はメジャーな競技の運動部くらいしかないですからね。

覚えない人は会社で見ていて「コンピューターは人間の代わりに仕事をしてくれる」という誤解をしているか単純に技能の習得に感心がないケースが多いように思います。
パソコンが広く普及した結果、受け身でいたい能動的になりたくない人には宣伝とのギャップで持ってみたら面倒で嫌なものだったというのが多くの覚えない人には多い気もします。2013-05-08 23:32:29
和田
>小城りょうさま
覚えるかどうかはやはり「関心があるかないか」なんでしょうね。興味付けというか、なんというか。興味が無い事に人は労力を割きませんし。面倒を解決するためのコンピュータなんですが、そのコンピュータ自体を面倒と考えてる以上、希望はありませんよねぇ・・・。2013-05-08 23:42:48