パーソナライズの危険性
ちょっとさらに追加でパーソナライズの危険性について。
2012-01-12 09:14:32
入力時間 / 07:18
まぁほんと例えばの話ですけどwikipediaがパーソナライズしたらどうなるか。という事を考える。それはもはや情報では無くなっちゃいますよね。Googleがそこまでバカだって言ってるわけじゃなくて、たぶんユーザーはGoogleが思ってる以上にバカってことを言いたいんだけど。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」というのはアインシュタインのお言葉ですが、今後ソーシャルやパーソナライズが加速していくにあたって、ソーシャル(社会性)の最も忌むべき点である偏見のコレクションの偏りがより顕著になる可能性があるという事を言いたかってん。
パーソナライズは骨格に対して適用するものではなく、あくまで付加価値として用意すべきものであると思うんだ。例えばお店自体が客好みにカスタマイズされていたら、それはもうお店としての信念を失ってることになりますよね。そうではなく、あくまで店員というスタッフが居て、そのひとがお客さんの目線に合わせて接するのが接客であり、ある意味ではそれがパーソナライズの基本だと思うの。
amazonも、あくまで骨格はamazonであって、さらにお客さんの好みに合わせて商品を薦めてくるというのは接客する店員的な振る舞いだと私は思うんだ。だからamazonはある意味でパーソナライズで成功していると思うのね。そんな私のAmazonさんではいつもオナホールを薦められるわけだけど。
パーソナライズとソーシャルが結びつくことによる利便性もあるとおもうけど、それによって利用者の視野が狭くなる危険性を孕んでいるってことはあるんじゃないかな。まぁGoogleさんもそれくらいは承知の上だろうけどね。
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