言葉とインターフェース
言葉って大切。インターフェースにおいても言葉ってとても大切。
2011-09-21 07:53:18
入力時間 / 11:54
いつ頃からか忘れたけど、可能な限り多言語(英語対応)でプログラムを書こうと思い立ってみた。理由は簡単で英語を憶えたかったから。それに英語の方が「カッコよく見える」からだ。あとは多言語対応のプログラムの仕組みを考えて見たかったというのもある。
実際のところプログラムでもCSSでもHTMLでも、すべての源になるのは英語。よくクラス名や変数名をローマ字で書いてるのを見かけるが私はそういうのが嫌いだったので、可能な限り英語で書くようにしていた。ゆえにUIを英語にするという作業自体はそう難しいものでもなかった。そしてここで思わぬ効用を知ることになる。
英語でつくることを念頭に置くことでUIは簡潔になる
英語とはつまり私の母国語ではない。母国語ではない英語を使って説明をするとなると、機能面を含めてより簡潔にすることになる。というよりは簡潔に説明できないと英語が苦手な私にとっては辛い。だから簡潔な言葉で説明できるように機能面を改善することになる。
これはつまり操作方法が簡便になることを意味する。
「操作の説明がめんどい」→「説明しなきゃいい」→「説明しなくても使えればいい」
という式が成り立つと私は思うのよね。twitterが良い例でツイートするメッセージボックスと、それをpostするボタンのみの簡単なインターフェースは英語が不得手な日本人にも受け入れられましたよね。転じてFacebookは正直なところ日本人には親しみにくいUIであることは言うに及ばず。
究極の理想は言葉の排除
例えばスコップ。スコップに説明書なんて付いていないけど、誰もがスコップの使い方を理解することができる。インターフェースの理想は言葉の排除にあると私は思う。これはユニバーサルデザインやグローバルデザインにも通じる所がある話ですが、アイコンなどもそうですよね。とはいえ、ラーニングを要するようなUIに言葉は必要不可欠。言葉を取り除くことがどうしてもできないのであれば、簡潔にするしかない。
英語版からつくる
海外を視野に入れる云々ということではなく、インターフェースを簡潔にするために英語版から組むというのはひとつの方法かなと思っています。英語の勉強にもなるし!海外のサービスを触っていれば嫌でもよく使う言葉が身に付きますしね。
まぁ英語ができない私がこんなことを書くのも滑稽な話ですが、英語ができないゆえの視点とも言えるので、ぜひ英語が不得手な人は英語版から作ってみるのもいいかもしれませんよ!
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単に私に技量が無いためにシンプルにならざるを得ないという側面もありますが・・・。でも作る時はなるべく面倒にならない(私が)ように作るので機能を削って削ってと考えるのが好きですね。2011-10-03 07:11:35