豪華絢爛で希薄になる未来
この世界はどんどん豪華絢爛で中身のない方向に向かっているのではないだろうか。
2011-07-13 06:51:08
入力時間 / 12:30
まずこのエントリを読む前に「十二人の怒れる男」という映画を借りてきて見てほしい。今日の仕事帰りにでもぜひTSUTAYAに行って借りてくるといい。というか借りてこい。というほどの名作です。
何度見てもやっぱりすごくよくできている。名作なので見たことがある人も多いのではないだろうか。非常におもしろく今から50年以上前(1957年)につくられた映画とは思えないほどのクオリティです。しかも制作費が350,000ドル。アバターの制作費が237,000,000ドルなので桁が3つほど違います。
もちろん映画を比較するなんて無粋で無意味ですが十二人の怒れる男はアバターのようないわゆるエンターテイメント系の映画と比較してもなんら遜色の無い面白さと奥行きを持っています。それも50年以上前の白黒映画でですよ。
この映画を見たあと、今のコンテンツに目を向けると多くのものが虚飾だという印象を受けます。豪華絢爛で華やかなんですけど、実際に中身がないんですよね。技術だけが進化して、中身がついていっていない感じ。ここでいう中身とは創意工夫や精神性のことですね。
ゲームなんかもそうです。すごく高画質で派手になってますけど、ファミコン時代のゲームと比較してもゲーム性で言えば全然大差無いんですよね。見た目は確かに小奇麗になってるけどその中身はというとね。もちろんすべてがじゃないですよ。
そして時代(大衆)はその豪華絢爛な見た目をありがたがってる気がするんです。
中身じゃなくね。見た目で満足するというか、中身を、その奥を知ろうとすらしないと言うか。
これは映画やゲームだけの話ではなく、社会全体がそういう方向に向いてるんじゃないかなと。
私はそれはいかんと思うの。大切なのは中身だと私は言いたいの。それはもちろんアプリケーションだってシステムだってWebサイトだって同じでね。やっぱり中身や精神性、創意工夫が一番大事だと私は思うんですよ。
ということを十二人の怒れる男を観てあらためて感じたのよね。
見たことない人は絶対に見るべき。絶対だ!!!
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