幸福は実現するものにあらず
ご期待を裏切るようで申し訳ないですが大川先生に関することではありません(笑)
2011-07-10 23:06:05
入力時間 / 10:32
あの政党やあの宗教に関する事じゃないです。期待した人はごめんなさい。
大川先生は宗教よりもお笑い芸人に向いてると思う。
ぎっくり腰の具合が少しづつ良くなり、散歩ができるようになりました。ただ普通に道を歩くだけ、そんなことでも幸せだなぁと感じます。そこで幸福の定義についてまた考えてみた。
なにをもって幸福とするかは人それぞれだと思うけど、少なくとも生あることが一番の幸福だと私は思うんですよ。つまり幸福であることが前提。幸福でない状態とは基本的には存在しないが、幸福である事に気付かない状態の事を不幸と呼ぶのではないかなと。
例えば和田クラスになると納豆と炊きたてのご飯。それだけですごい幸せな気持ちになります。なんて言うんでしょうねあの気持ち。幸福感とでも呼ぶのだろうか。あのアリガタイ感じ。
例えばオシッコをしてるとき。無意識に「アァ~」と声が漏れ天井を見上げるあの瞬間。私は幸せです。改めて考えてみれば毎分毎秒幸せなんですよね結局のところ。不幸なんて本当にこの世の中にあるのかな?と私は思っちゃいます。
つまりは幸福である事を確認できるゆとりがあるかどうかって事だと私は思うんですよ。
だから幸福を求めるだとか、幸福を実現するって何か私には違和感があるんです。
そもそも幸福は求めたり目的とするものじゃないんじゃないかなって。
幸福って私はそういうもんだと思うんですよ。
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