楽しいインターネッツ
インターネット創世記のあの楽しいカンジは今どこにいったのか。
2009-11-12 09:32:32
入力時間 / 17:51
私がインターネットにどっぷり使ったのは1997年~1998年くらいだったでしょうか。当時はインターネット自体が非常に物珍しく電話回線を使って56.6kbpsというスピードで画像が表示されるのにも時間がかかる時代でした。もちろんエロ画像を見るために海外のサイトやアングラ系サイトを徘徊したりして、テレホタイム以外だと電話代が大変なことになったりして。
ISDNというものがでて、64kbpsになって回線も使い放題になりもっともっとどっぷりとインターネッツにつかっていったわけですが、あの当時はインターネットに夢とか希望とかたくさんあった気がする。新しいものを見て、拙い知識で自分でホームページを作ったりして。それだけで楽しかったんだよな。
自分で何かを創って、それを誰かに見てもらえて。誰かが一生懸命作った何かを見て触発されて。本当にインターネットには夢と希望があった。決してお金なんかじゃなくてね。
でも時代は変わり。いまはインターネットがお金を生むための道具として見られている気がしてならない。もちろん私自身もこのインターネットを媒介としてお金を得ているのだから偉そうなことは言えないが。インターネットってそういうもんだったっけ?
いろいろお仕事の話は頂く。一緒にビジネスやろうというお誘いも頂く。でも。でも。インターネットを金儲けの道具と見る人たちとは一緒にできない。もちろん決してそれを否定するわけでは無いが、インターネットは金儲けの道具として見たくないと私は考えているから。
理想家でロマンチストの戯言として聞き流して頂きたいが、インターネットは金儲けの道具じゃない!全世界の、人類にとっての情報共有のプラットフォームがwwwであってそれは金儲けしようって場所じゃないんだ!!と札幌市白石区菊水で叫んでみる。人類の進化を促すための触媒だ。
スティーヴン・W・ホーキング博士は言った。「人類の進化は次のフェーズに入った」と。それは生物学的見地の進化をすでに超越し、インターネットやコンピュータサイエンスの見地から人類全体が情報を共有する事によって齎される新しい進化と評した。
私もそう思う。自身の脳内から解放されない人間が、今までは知りえなかった膨大な量の情報をいつでもどこでも知りうる環境は20年前と比べても異様だ。これは進化と定義してもなんらおかしくはない。100年前の人間が50年生きても知りえなかった情報を今では1分も経たずに知ることができる。これは進化だ。
私の中でインターネットとはそういった次世代の人類にとっての基盤でありインフラである。それを金儲けの対象として見る事はどうにもできないもんです。インターネットはそんな安っぽいものではなく、もっと崇高で志の高いものだって思いたい。
先日、wikipediaに記事を掲載してお金を貰ってる業者が叩かれていましたが、なんでみんなそんなに必死なのさ。お金ってそんなに沢山欲しいもんかい。食うに困らないだけのお金があればいいんじゃないの?贅沢したい?浅ましく卑しくお金を得てまで贅沢したいか?
私にはわからない。お金なんてもうホントにキライだ。お金の無い世界で生きられたら、もっとのびのびと生きることができるのに。納税もややこしい。メンドクサイ。もっともっとシステムを簡略化してシンプルに生きられないのだろうか人間は。余計な煩わしい事に思考をとられることなく、文化的に生きることができれば人間はもっと幸福に近づけるのに。
現代においてインターネットは金儲けの手段に成り下がったのかもしれない。
でも私の中でインターネットはやっぱり夢と希望と未来があるあのときのままなのでした。
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初めて写真が動いた衝撃。
物語が加えられ、活劇になった興奮。
撮影・編集技法の発展により特撮が登場し、表現の可能性が広がった希望。
CGの登場により想像を具現化できるようになった解放感。
映画が輝いてたのはここまで。
これ以降は、似たような作品、ヒット作のマイナーチェンジみたいなものばかり。
技術がある到達点に達した後に来るのは、効率化、システム化の波。
この時必要なのは、熱い魂のみだと思う。
ハリウッドの金儲けシステムを嫌い、本当に作りたいもののために独立する監督もいる。
頑張れ!和田!2009-11-13 23:10:35
革新も時間が経てば当たり前になっちゃいますからね。風化ってもんなのかなぁ。2009-11-14 22:57:49