自分のソフトとハード
自分を考えるとき、自分にはソフト面とハード面がある、という話。書く前からわけわからん感じになるな、という予感がすごいある。
2020-09-18 21:55:50
入力時間 / 14:35
「自分」を考えるとき、その「自分」という言葉が何を指し示すか、ということを考えたことはありますでしょうか。私は結構あります。まぁ自分とは自分なのでそれ以上でもそれ以下でもないのですが。
私は「自分」を考えるうえでパソコンに例えると「自分のソフトウェアの部分」と「自分のハードウェアの部分」がある、と思っています。
自分のハードウェアの部分
ハードウェアという言葉が指し示す通り物理的な構成要素の部分。身体・脳みたいな。物理的に存在していて触れる部分が自分のハードウェアな部分。パソコンで言うところのCPUとかVGAとかメモリとか、そういう部分。
自分のソフトウェアの部分
パソコンで言うところのOSであったりアプリケーションのようなもの。実際に手に触れることができない部分。思考であったり、性格であったり。
ということで、自分を大別すると上記の2種類に分かれていると思っていて、自分を指し示す場合、主として後者のソフトウェアの部分が「自分」だと私は思っています。ハードウェアの部分は入れ物・乗り物に近い感覚で、自分が自由にできるけど、親から贈られたもの、というような認識。
自分というハードウェアをどれだけうまく動作させるソフトウェアを書くかという遊び
で、何を言いたいかっつーと、人生ってこういう感じなんじゃないかなって。基本的にハードウェアのスペックアップももちろんできるけど、そのハードウェアのスペックアップをするためにもソフトウェアのアップデートが必要な感じ。
なので、どれだけ自分の生まれ持ったハードウェアに合わせた、最適なソフトウェアを構築できるか、というのが人生のひとつのテーマなんじゃないかな~と私は思っています。
私は両親のおかげで素晴らしいハードウェアに恵まれたのですが、ソフトウェアがクソなので、ま~大したことの無い人間なのですが、自分自身を考える際にハードウェアとソフトウェアを分けて考えるってのは、ちょっと大事なんじゃないかな~と私は思っています。
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