和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

分岐点を意識してつくる

人生には分岐点が多々存在します。私は分岐点は受動的に訪れるものだと思っていましたが、能動的に分岐点をつくるという発想が大事なんだということに40歳で気づきました。

2019-07-15 03:04:35
入力時間 / 16:58

私の人生の結構大きな分岐点

人生には分岐点がありますよね。私の中で結構大きな分岐点は「会社に残る」「会社を辞めてWebデザイナーになる」という22歳頃の分岐点でした。

こんな感じで後の人生を大きく変えるであろう分岐点は人生に度々登場しますよね。私はこういった人生の分岐点はあくまで受動的で、分岐点側から訪れてくれるものだとつい最近まで思っていました。ようは待ちの姿勢ってことですな。

しかし分岐点は自分から能動的にうみだすことができるという事を最近発見したのです(当たり前すぎる事だったらすいません)!

たとえばいまコレを読んでいるあなたには

という選択肢がありますよね。でも普段、それは無意識下であって意識下には無いと思うんです。そうなんです、分岐点は意識して目を凝らさないと見えないんです!ということに40歳にもなって気づいた。

今までの私の人生では分岐点を自分から働きかけてつくろうという発想がまったくもって欠落していた。意識下に分岐点が出てきたときのみ知覚できていたんですが、意識して生み出すことで人生をもっとコントロールしやすくなるんじゃないかなと。

たとえばこんな分岐点があったとして、この選択肢から最適解を得ることは容易です。でもそもそもが、分岐点が無かったら最適解に導かれる確率が低くなると思うんですよ。ちょっと何を言ってるかわからんかもしれませんが。

分岐点を意識すること

まぁつまりダラダラしないで、人生が常に分岐の連続体であることをしっかり認識してそれを意識するってことだとは思うのですが、自分の未来が今の行動と地続きであることを理解しろって事ですよね簡単に言うと。

どの選択肢が正しいかは意外とみんなが知っていることで、でも分岐点をつくる事を多くの人が知らないのではないかなと思った次第です。少なくとも私の人生で「分岐点をつくる」という発想は全く無かった。プログラマのくせに。

選択肢の品質を向上させる

分岐点をつくることさえ意識できれば、あとは選択肢の品質を向上させれば人生は確実により豊かなものになることは間違いない。

たとえば上記のような左右の選択肢で、後の人生がより豊かになるのは右の選択肢群だろう。「分岐点とは行動のきっかけ」であり、「選択肢は行動の内容」を示すものなのだなぁ。

私は行動のきっかけに対してあまりに受動的すぎた。それでもこれだけ良い人生にたどり着けたのは本当にラッキーだった。

これからの人生は、より能動的に分岐点をつくり、より良い選択肢をチョイスしていければいいなと今思っています。40年生きてきて、私の中では1・2を争うほどの大発見でした。

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