教えないという教育
教え育むと書いて教育ですが、逆に「教えない」ということも教育なんじゃないかなと思う昨今。教えることは大事だが、教えないことはもっと大事なんじゃないか!
2018-10-27 01:33:30
入力時間 / 12:14
倅は今、何をするにしても「自分でっ!」と自分でやりたがる時期です。結構邪魔くさい度たかいんですが、観点を変えて見れば「ものすごい自主性」と捉えられなくもない。この自主性、できれば損なうこと無く成長してほしい。そこで思ったんです。教えないことの大事さを。なんか話が飛んだな…。
人はだれでも教えたがり。それは人間が本能的に持っている機能のひとつだと私は思う。ゴルフなんてやってると、いろんな人がアドバイスしてくれる。みんな自分が知っている「自分だけの真実(経験)」を教えたいし伝えたい。私も例外なくそうだ。
しかし、考えてみよう。そのことを「教えること」のメリットとデメリットを。教えることは相手にとって、試行錯誤の必要無く成果を得られるメリットがある。だが、試行錯誤するという過程や自分で答えにたどり着くという達成感を取り上げてしまうというデメリットがある。
何かを一つ教えることは、何かを一つ発見する喜びを奪っていることと同義だ。それは人生の醍醐味を損なうような行為にほかならないのでは無いか。
私の育った家庭では二言目には「辞書引け!」という家だった。親曰く「教えられた事より自分で得たことのほうが身につくため」だそうだが、ほんとそれな。
現代社会でもインターネットですぐ答えにたどり着けることが問題視されているが、答えにたどりつくことも大事だが、答えにたどり着くプロセスだって人生を豊かにする上では結果以上に大事だったりする。
ということで、子どもと接する際、自分自身のエゴイスティックな「教えたい」に自制をして「教えない」をできたらいいなぁと思っています。子どもは誰もが小さい頃は自主性に富んでいるんですよね。そこにフタをするのは恐らく親。
子の成長を阻害しない親でありたいな~と思うのでした。
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