難しく考えない
先日、父母と話す機会があった。いろいろ話した。感謝とか謝罪とか。
2013-03-17 01:24:19
入力時間 / 20:27
私の父母は今年で70歳くらいだ。もういい歳である。父は60を過ぎた頃から何度か大病を患っているし、母は40代の頃から入退院を繰り返している。故に私が父母と言葉を交わす機会はそう多くは無いだろう。そのため、父母と話す際は忌憚なく実直に想いを伝えるようにしている。
父母に「よく37歳で私を産んでくれたね。躊躇いはなかったの?」と聞いてみた。私は3人兄弟(姉2人)の末っ子で、今で言う高齢出産な子供だった。私であれば30代後半で、3人目を産む勇気は無いだろう。
難しく考え過ぎ
と、母に言われた。父が「なるようになる時はなるし、ならない時はいくら考えてもならない。大概はどうにかなるもんだ。」と付け加えた。なるほどな。大きい。大きいよお父さんお母さん。まったくもってごもっともだ。例え小難しくアレコレ考え、思い悩んだとしても、意味のない事もある。やらなきゃわからない事もある。
ちなみに父の座右の銘は「ケセラセラ(なるようになる)」です。親ってのはやっぱ偉大ですよね。感謝してもしきれない。どれだけ尊敬してもし足りない。本当に両親ってのは偉大だなと改めて痛感しました。
もっとも、私は難しく物事を考える事がまったく駄目な事だとは思っていない。ただ、難しく考えることで行動や思考が阻害されるのであれば、それはやはり害悪にしかならないということは間違いないこと。程々に考えて、程々に考えない。そういうバランスがやはり大切なんでしょうね。
父や母の領域まで私が在命中にたどり着けるかどうかわからないが、私も「なるようになる」と胸を張って言えるような人間になりたいなと思いました。生んでくれて、育ててくれてありがとうお父さん、お母さん。
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