悪貨と闘う意識
良貨は粗悪な悪貨と闘わなくてはならない事を意識すべき。
2011-11-27 10:13:39
入力時間 / 31:43
「本物を理解してくれれば」と誰もが考えるが、消費者は本物を理解してはくれない。理解して欲しいというのは希望的観測であり、それ自体を消費者には要求できないものだ。残念だども。
それではこの世に数多くある「評価されている良貨」は悪貨とどのように渡り合っているのだろうか。私が悪貨を駆逐する良貨の代名詞として真っ先に思いつくのはもちろんアップルなんだけどね。ではアップルはどうやって悪貨(安いWindows PCやAndroid)を駆逐しようとしていたか。
消費者の事を高い次元で考える
消費者に対して媚びるのではない。消費者の事を消費者が思っている以上に考えること。それが「消費者の事を高い次元で考える」ということだと私は理解している。スティーブ・ジョブズが「消費者は自分が何を欲しいか理解していない」と言ってましたが、まさにその通り。消費者以上に消費者の事を考える。それはつまり品質の向上を意味する。
明確な精神性と揺らぐことのない信念
アップルは凹まない。というかスティーブ・ジョブズは凹まない。消費者やアナリストにどのように叩かれたとしても、自身の主義主張を変えることは無い。なぜならそれが正しいと信じているし、知っているから。ようは「自分の信念と心中できるかどうか」というのがひとつのポイントだと私は思う。自分の命を賭するだけの熟考を重ねた信念であれば、それは概ね本物といえるはずだから。その信念は整合性や精神性を形成し、求心力を生む。俗に言うブランドというものだろう。
売上・利益は二の次、三の次
企業としては問題だが目先の売上や利益を考えていては信念の貫徹は困難と言わざるを得ない。真の目的はその行為によって金銭や財を得る事ではなく、消費者に自身の信念を理解してもらう事だからだ。そして、自身の信念が市場に受け入れられた時にはじめてその対価としてもたらされるのが売上や利益だと心得る。
ユニークであれ
ユニークであることが目的では無いが、突出した信念を持つ企業の多くはユニーク(唯一)な何かを持っている。完全な模倣からユニークな信念は生まれない。この世に存在しないものを、この世に生み出そうとするその心がユニークな何かを授けてくれるのだと思う。この世に存在しないものは社会に受け入れられないかもしれない。でも自分自身がそれを正しいと信じるのであれば、それを遂行して然るべきだ。だからこそアップルはユニークであれた。他を追従していただけでは決してユニークにはなれない。
と、いうことが私なりに考えた悪貨と闘うべき良貨の心得だと思います。
まぁほとんどアップルの話でしたけどね。余談ですがアップルについてもう少し書かせてください。
高かったMacがなぜ安くなったか
昔、Macは高かった。キヤノンが代理店をしてる頃は100万ほど。Windows PCが10万で買える時代で15~40万程度と1.5倍から2倍程度の価格だった。バルマーいわく「アップル税」というやつですね。しかし、今はなんとWindows PCと同等かそれ以下の値段にまで下がっているんです。もちろん品質を維持しつつ。iPhoneもAndroid携帯より安いですよね。
ではなぜMacやiPhoneはこんなに低価格を実現できたのか。MacのシェアはWindowsと比べれば1/10程度。しかしメーカー別のパソコン販売台数や携帯電話販売台数で見るとほぼトップシェアなんですよね。パソコン関連では顧客満足度が突出して高いのもアップルが消費者に愛されている特徴のひとつです。ちなみに日本のスマートフォン市場でもAndroid携帯とiPhoneの満足度調査でiPhoneが突出していますよね。
品質の高いものは値段も高い。でも市場がそれを受け入れてくれるという確信がアップルにはあったわけです。市場が受け入れキャズムを超えれば、飛躍的にパイが増える事で売上・利益は一気にあがります。売上・利益が上がれば、当然のことですが価格を抑える事も可能になるということです。つまり売上・利益は後からなんぼでもついてくるという良い例だと私は思います。
まぁその他、徹底した在庫管理や合理化など話し出したらキリが無いんですが、余談なのでここまでで。
真に本物であればいつかは必ず評価されるはず。
そのスパンが短くなるかどうかは人間の進化次第ですけどね。
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