ソーシャルは収束する
私は常々思ってるんですよ。ソーシャルって一過性だなと。
2010-12-09 21:26:42
入力時間 / 16:40
私が多くの人より人間関係を望まないからというのも、そう思わせる要因なのかもしれませんけどね。多くの動物は外敵から身を守るためや、生命維持活動をより能率的にするためにコミュニティを構築するわけです。Web上に誕生した古くはコミュニティサイト、そしていまはソーシャルネットワークが未来のソレと言っても間違いでは無いでしょう。
しかしね。私は思うんです。肥大化しすぎたんじゃないかなって。どれだけの人間がそのつながり・関係を真に望んでいるのか甚だ懐疑的である。みんなが使ってるから使ってる程度の域をまだまだ越えていないんじゃないかなって。twitterでのつぶやきの6~7割は誰も見ていないなんて統計もありますし、本当のところ、実際はだれも他人に興味なんて無いんですよ。
もちろんいま巷を賑わせている「ソーシャル」ってのは口実なんでしょうけどね。数多の蛾がソーシャルという名の街灯に群がっているように私は映る。あ、もちろん私もそのうちの1匹ですけどね。
いまの無尽蔵に肥大化するソーシャルはいつか必ず収束する。と私は踏んでいる。なぜなら人間が身を置く場所として現状はあまりに不適切だからだ。情報量も多すぎる。もっともっと小規模であるべきだ。というのはサイト全体のスケールが小さくなるということでは無論ない。無闇矢鱈と「繋げたがる」風潮が抑制されるという意味だ。
人生を価値あるものにするために、多くの交友関係はいらないと私は考えている。いや、むしろ独りでもいいくらいだ。誰かと居れば、誰かと繋がっていれば、長い人生の時間を薄めることはできても濃くはできないと私は考えているからだ。いや、もちろんその限りではないけれども、無駄に多い交友関係なんて誰が望むべきか。
これは私の持論だが、独りであるから繋がった時に価値があるのであって、繋がることのみで得られる価値なんて無い。基本はやはり独りだと私は思っている。独りってやっぱり楽しいし素晴らしいんだよっ!って言ってもなかなか伝えるのが難しい。
まぁなにはともあれソーシャルなんて言ってるのもあと3~5年程度だと思うね。
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