感情エネルギー
感情ってのは生きるための原動力なんだなと思い知らされたって話です。
2010-07-20 17:13:53
入力時間 / 12:47
先程この菩薩の如き私がイラッとする出来事があったんですが、イラッとすると同時に私のやる気メーターに反応がありまして。歓喜も悲哀も怒気も、感情の起伏やうねりはやっぱり生きるためのエネルギーなんですね。いまさらなんですけど。
日々、感情邪魔クセーと思っている私ではありますが、感情を排除すればするほど無気力になっていく自分に気がつくわけです。それはそれで人生の楽しみ方(すごい矛盾)かなとも思ってはいるんですが、やっぱり感情は生きていく上で多少は必要なんですね。
菩薩の如き私がイラッとする事は取るに足らない些末なことなんですが、イラッとすることでエネルギーを得られるならそれはそれで効率的なエネルギー循環なのかもしれません。怒っているときや悲しいときのほうが作業がはかどるような気もする。感情の持つエネルギーというのは侮れませんね。
そう考えると、イラッとする事をされることも、悲しい思いをすることもそんなに嫌悪すべきことではないのかな。むしろ怒れる自分に、悲しむ自分に、そういった感情を与えてくれる人たちに感謝して然るべきなのかな。
感情は生きていく上でのガソリンみたいなものなんだな。立ち止まっているなら必要無いけど、動くためにはやっぱり多少は必要なんだ。悲しいけどこれ現実なのよね。
感情はやっぱり邪魔クセーけどそれはそれでまぁ悪くないな。
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ハイブリッドになりたいです。
怒りの原因が気になりました。2010-07-23 01:07:40
悲しみとか喜びを想い浮かべている相手に怒る人は滅多にいませんね。(時と場合による。)
でも怒っている人を見ると人は否定的な感情を抱きますね。
怒りが何であれ怒っている人を見ると人は否定的な感情を浮かべます。
たとえそれが自分自身の感情(怒り)であっても罪悪感を抱いてしまう人もいます。
でもどうでしょう?
怒りにもいろいろありますよね、千差万別です。
人を殺したくて怒るのも感情ですが、
愛しているがゆえに守ろうとしてその行動の中に怒りが潜んでしまう事もあります。
そのどちらも怒りですが、あまりにも種類が違いすぎますね。
なのになぜか人は怒りと敵対しようとします。
でも、もしかしたら怒りの中に愛も知ることが出来るかもしれない。
怒りの中を見ていったら、その中には愛があったと気づくこともあります。
気付かないのは怒りと敵対してしまったから、良くない事だと思っているから。
でも、もしかしたらあるかもしれない。
愛の中に怒りがあり、怒りの中に愛がある。その中のどちらかを消そうとすると全てがなくなる。
それらは一つだから。分離された何かではないから。人の感情は全てにつながっているから。
和田さんの感じた怒りはどこに当てはまるのか(否定的・肯定的)は私には分かりませんが、
その感情にエネルギーを与えられたのなら、和田さんはとても面白い人です。
そして、なぜ面白いのか。
私が面白いって感じたからです。
面白いっていう理由を人に聞かれ、尋ねられても答えられる人はなかなかいません。
それくらい人の感情は複雑なのに、なぜか一言聞いただけで相手の感情を否定したりします。
よほど不合理ですよね。何を分かった上で否定してるんだ?
お前は否定できるほど相手の事を知っちゃいないよ。
だから、人って面白いんですよね、複雑なのに分かったような顔をする。
そして、怒りをエネルギーを変えた和田さんはやっぱり面白い。2010-07-25 16:33:44
ものすごい取るに足らないことですが、割と厚かましいサポートしてくれメールにイラッと(笑)
私もほんと器量の狭い人間だなと痛感しております・・・。
>うぽさま
怒りをうまく昇華すれば良いんじゃないかね!怒気も質を変えればエネルギーに転化できると思いますよっ!
>抹茶ゼリーさま
怒りの原因は前述の通りの些細なことです・・・。私も燃費の悪さに悩んでおります・・・。
>浅井 素直さま
感情てのはむつかしいもんですよね・・・。利己的なイライラも相手の気持を思うイライラも、とどのつまりはすべて独りよがりの感情に過ぎませんからね。相手にとっちゃ余計なお節介だったりもしますし。という自覚のあるなしだけでも結構違うもんですよね!2010-07-25 20:18:10