意識とユーザインターフェース
ユーザインターフェースというと見てくれに囚われがちではありますが。
2010-07-26 19:36:19
入力時間 / 12:12
ユーザインターフェースはその存在から相対する人間の意識・無意識までを含めた包括的な概念なんでないかなというお話です。例えば上記の画像ですが直感的に押せる・クリックできる事が理解できると思います。私はこれを「押せる感」と言っています。ようは「押せそう」と直感的に思えるかどうかって事なんですけど。
そういう意味ではユーザインターフェースは「無意識のうちに意識させる」というのが肝要なのかなと。アップルがよく使う「直感的なインターフェース」というフレーズがあるんですが、まさにユーザインターフェースとはかくあるべきという至言だと私は思います。
ここで話は少し飛びます。よく「iPadはWi-Fi版でよくね?iPhoneじゃなくiPod Touchでもよくね?」というご質問やご意見を頂くのですが私はやはり3G版がガチだと思います。それはなぜか。「意識せずインターネットに繋がる」というその一事に尽きます。ようは「意識することなくインターネットに時間も場所も問わず繋がる」というその一事こそがiPadやiPhoneの真価だと考えているからです。しかも「パケット代を意識することなく」ね。
ボタンの例も、iPhone・iPadの例も「意識させない」ことがとても肝になっていると私は思うんですね。「意識しない」ということは即ち「当たり前」であり「空気」ってこと。あたかもそれが最初から知っていたかのようにそれを使うことができる。それってやっぱり究極のユーザインターフェースですよね。
表層レベルではなく使用者や閲覧者の深層心理までを考慮して意識なく意識させるってやっぱり難しいですよね。でもきっとそれがユーザインターフェースってものなんだろうなぁ。
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それには賛同しかねますな!ビーチクは「押せる感」より「吸える感」のほうがあきらかに強いですよっ!そしてパイオツは「揉める感」が強いですね!無論、「揉める感」の弱いインターフェースを実装した女子も多いですけどねっ!2010-07-28 02:20:43