理解・分解・再構築
鋼の錬金術師の話ではありません。プログラムとデザインの話。
2009-01-06 19:50:26
入力時間 / 20:22
鋼の錬金術師にも同じ言葉が出てくるんですが、今回はマンガの話ではありません。
これはデザインのお師匠様に教えて頂いた事なんですが、地下鉄に乗っているときでも街を歩いているときでも、目に飛び込んでくる様々なオブジェクトに目を配る事を忘れるなというお話です。それはマンガを読んでる時でも、テレビを見てる時でも映画を見てる時でも。
理解する
ポスターでも映像でも、その造形物が良いモノか。良いモノであればどこが良いのか。逆に悪いモノであればどこが悪いのかを理解すること。理解しようとすること。パッと目に映ってそれがよく見えたのであれば、必ずそこには良く映るための理由があります。逆に悪く見える時も。単純に良い、悪いではなく、そこに論理に根ざした理屈を求めるわけですね。フォントの扱いが良いのか、カラーバランスが悪いのか。細部にわたって理解します。
分解する
その造形物がどういうアプリケーションで、どういう手法で創られたか。どういうフォントを使っていて、どういう加工をしていて、どういうフィルタを使っていて、どういう行程で。という事ですね。それはポスターから映像まで、全てにおいて分解して見る事ができます。逆に分解できないということは、自分がその手段を知らないという事。それは問題です。ただ、ことDTPに関して言えばほとんどがPhotoShopとIllustratorのテクニックで網羅されているため、それが自分の技量のバロメータになるかもしれません。そして分解できるということは、作り方がわかるということ。そして自分で創る事ができるという事になります。
再構築する
理解して分解したら、あとはその良い部分を踏襲して再構築すること。100%の完全コピーを目指さない限り、必ず数%から数十%の自分っぽさが紛れる。それが自分の風味になって再構築されるわけです。先人の言葉で言えば「すべての創造は模倣から出発する」というのがありますが、まさにその通りで、0からスタートする時に完全なオリジナルはアリエナイんですよね。そして様々な模倣を繰り返す事に寄って、いろんなクリエイターの遺伝子と自分の感性が融和したオリジナルに昇華するわけです。
上記の例は主にデザインに関してのケースですが、プログラムに関しても全く同じ事が言えます。それが表面的な部分なのかロジック的な部分なのかの違いだけで。なので、まず目を配る事が肝要なんですね。カラーバス効果なんていう言葉もありますが、まず「目を配ろうと意識すること」こそが本当に大切で、それが最も難しいのかもしれません。
よく「デザインは生まれ持ったセンスだから」みたいな事を言う人がいますが、私はそれを認めません。「センス」という言葉で片付けてしまってはクリエイタに失礼だと思います。感性はまさに経験と見識の積み重ね。いかに世に目を配って生きているかが肝。見たものを理解・分解してそれをどれだけ蓄積しているかが感性に繋がっていると私は考えます。
「私はセンス無いから」と嘆く前に、ぜひ見識を高める努力を。
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