和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

差別ダッ!

ふと思ったんですが、男性差別だ!とか女性差別だ!とかって叫ぶ人たちってなんでちょっと過激な人が多いのだろうか。若干気の毒になるレベルで過激な人が多い。おそらく余程嫌な思いをしたのだろうけれども。

2019-03-25 17:00:35
入力時間 / 09:49

SNSで個人の価値観が跋扈する世界。いろいろな価値観・考え方が世界に発信されておりますが、その中でもとりわけ「差別ダッ!」と叫ぶ人たちはちょっと過激で考え方が偏っている人が多い気がするのは気のせいでは無いと思う。

無論過激にならざるを得ないような、筆舌に尽くしがたい嫌な経験をされているからこそ過激になっているのだと思うのだけれど、過激になることでかえって自分自身を生きづらくしているのではないかなぁと、余計なお世話だが心配になる。

価値観って硬ければ硬いほどぶつかったとき痛いと思うんですよ。でも子どもみたいに価値観が柔軟であればあるほど、別な価値観とぶつかったときの衝撃って少ない思うのです私は。

差別ダッ!と声高に叫ぶ人たちの価値観って多分ゴリゴリに硬い。それって少なくともこの世界ではどうやったって生きづらいしストレスたまるだろうし、その人の周囲にもストレスを撒き散らすだけだと私は思うんですよね。周囲にストレスを撒き散らすと当然、また自分にそれが悪い形で返ってくるわけで。悪循環っつーか。

差別ダッ!と叫ぶことが悪いことだと言うわけではないし、その事自体に意味が無いとは思わないけれど、嫌な経験をして過激になっているのであればこそ、もっと自分の人生を大切にして、穏便に生きたほうがよいのになぁ、と余計なお世話だけどいつも思います。

TAG

P.1926

しんさん
差別を感じている人のうち、ほんのわずか、が過激。おそらく多くの人は静かな人たち、だと思います。静かな人は目立たない。でも、差別だ、と過激な行動の人は目立つ。それだけのこと、だと思います。

SNSで情報を見ている人は多い。しかし、情報を書き込む、良いねする、など何らかの反応を示す人はごくわずか。私が使っているSNSのアクセス履歴をみると、アクセスがあった件数の3%くらいしか反応がありません。

過激な人には近寄りにくい。彼らが、もし、自分に共感してほしい、同情してほしい、協力してほしい、などであれば、過激な言動よりも、静かに、落ち着いて説明したほうが、協力を得られやすい、と思います。和田さんがおっしゃるとおり、声だかに差別を唱える過激な人は、損している。

人は様々です。我々人類は多様。中にはテロリストなどの過激な人、精神的におかしい人も、いる。これはやむを得ない。人類の多く (9割以上) は、普通の人だけれど、中には、おかしな人 (かわいそうな人) もいる、ってこと、なのでは?2019-04-15 21:34:12
和田
> しんさま
声が大きい人が目立つというのはありますよね。声が大きい少数の人のために、声を出さない多数の人が不利益を被るというのも、なんだか悲しいものがありますね。2019-05-11 23:17:42