和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

自分はおかしいかもしれない

私は幼少の頃より「自分はおかしいかもしれない」と思っていた。そして最近、その考え方は正しいのではないかと思いついた。

2019-03-18 01:29:40
入力時間 / 13:26

自分は人と違う、というとなんか中2っぽいですが、決して良い意味ではなく小さい頃から「自分は自分以外の人と比べておかしいかもしれない」とよく思ったものです。思考・言動・行動の着地点がなんか「みんな」とちょっと違ったので(良くも悪くも・主に悪く)。

そんな私なので、凶悪犯罪のニュースなどを見ると「こんなひどいことよくできるなぁ!」と思うよりは「自分が犯罪を犯す側にならなくてよかった」といつしか考えるようになりました。

で、40歳を眼前に捉えた私は思ったんです。「自分はおかしくない」と考えるよりも「自分はおかしくないかもしれないが、おかしいかもしれない」くらいの考え方の方が健全なのではないかなと。ようは自分への評価がちょっと懐疑的というか、絶対的じゃないほうがいいんでないかなと。

自分はおかしくない

と考えることってかなり危ういと思うんですよ。「自分はおかしくない」と断言できちゃうってことは、もし自分と相容れない意見や価値観と触れたときに「相手が間違ってる!自分は間違ってない!」になりやすいんじゃないかなと。そういう思考回路だとどんどん尖鋭化しちゃうんじゃないかなと。

自分はおかしいかもしれない

逆に自分に対して疑義を持ってるくらいであれば、「自分はこう思っているが間違っているかもしれないし、合っているかもしれない」みたいなフワ~っとした着地点にソフトランディングできるんじゃないかなと。そういう思考を持てたほうが人生楽じゃないかなって。

自分に自信を持たないわけではない

自分の意見や行動に自信を持たないというわけではなく、あくまで社会の中の自分という立ち位置を俯瞰で見たときに、自分の立ち位置は正常ではない(何を持って正常とするかそもそもわからんけど)可能性がある、という事を認識するということ。自信や自負とは別な場所の話ですね。

SNSなどで個々人の価値観にふれる機会が増えましたが「自分はおかしくない!」と自信満々の人ほどなんかちょっとおかしいと感じる事が多い。私はそういう人間になりたくないので「自分はおかしいかもしれない、でもひょっとするとおかしくないかもしれない」くらいのフワ~っとした価値観で生きていきたいなぁと思いました。

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くっちさん
ネットを見ても、ゼロか100の極端な意見が多すぎる気もします。民主主義ならばどちらか一方の意見に手を上げなければならないのはわかりますけど「いやいや、実は真ん中くらいが正解じゃないの?」なんて思うこと多いですね…2019-03-18 05:11:26
きのでんさん
「自分がおかしいかもしれない」は周囲に興味を持つためにとても有用な呪文なんですが、一つ一つ自分の立ち位置を確認する作業をしないと暗闇の中に立つようなものなのでとてもコストがかかります。
故にコスト削減のためまず「自分は正しい」に立つんだろうなと。
さすれば立ち位置も確認することも無く、周辺も眺める必要も無く眠っていられますから。
大抵の方は暗闇嫌いですしねw2019-03-18 06:46:40
和田
> くっちさま
二律背反的な考え方が多いですよね~。もっとふわ~っと中庸に生きられないもんかな~といつも思います。まぁ自分もそれがうまくできないことが多々ありますが・・・。

> きのでんさま
面倒くさいってのはあるんでしょうねぇどこかに。相手が悪い方がものすごく楽ですし、自分が正しければ何も自分はする必要がありませんからねぇ・・・。2019-03-20 06:57:40