和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(45歳)のブログです。

体罰の記憶

私は小学生の頃より落ち着きのない子だったのでよく先生に叩かれたものだ。

2013-01-11 00:28:22
入力時間 / 16:20

バスケットボール部の体罰で自殺が話題になっていますね。当事者間でしか知り得ないやりとりがあっただろうし、体罰の程度が実際にどれほどのものだったのかを報道の情報のみで判断することはできないので、この事件に関しては特に何も言えませんが、こういった事件によって「体罰=悪」という風潮になるのは体罰を受けて育ってきた私にとってはちょっとヤダな。

小学校1年生時、全校朝会でのビンタ

小学校1年生の時だったと思う。全校朝会で友達と騒いでいたらタカハシ先生にオモッキリビンタ食らったのを今でも憶えている。その時はまだ体育館が寒くて、耳がキーンとなった。痛かったかどうかは憶えていないけど「おもっきり叩かれて怒られた」というのはスゴク記憶に残っているんだ。

小学校2年生時、教室外で給食

体罰ではないけど、給食時間に友達と騒いでいたらもろとも教室外に机を出されて、そこで食べるハメに。廊下がまだ寒い時期だった。私は廊下で給食を食べながら、一緒に廊下に出された友達と騒ぎ続けた・・・。今、カケダ先生は元気だろうか。私はカケダ先生が大好きだった。

高校1年の時、他室入室にて

私は高校時代寮生活を送っていたのですが、自分の部屋以外に入ってはいけないという規則があった。私はポテチを食べながらシバムラの部屋で談笑してたのだが、宿直のコバヤカワ先生に見つかってしまった。オモッキリ殴られた。痛みはまったく感じなかったが「怒られた感」がハンパじゃなかった。

ってくらいが私の記憶に色濃く残っている体罰らしい体罰ですね。やっぱりスゴク記憶に残っているし、痛みよりもなによりも「ガチで怒られた」という記憶が強い。「本気で怒られた」感とでも言うのかな。私は小さい頃から馬鹿だったので、正直体罰を受けたことは今の自分につながっていると思っている。口頭だけで注意されても私はきっと馬鹿だからどうにもならなかっただろう。

体罰がすべからく看過されてよいという話ではないけど、それでも私は体罰という手段が有用なものであるという確信はある。それは程度の問題もあるし、フォローする周囲の問題も含めてだけど、うまく運用できれば体罰という伝達手段は情報を伝える上で真剣味だとか本気を伝えるよい手段だと思うんだけどな。

こういった事件が起こるたびに「体罰=悪」という風潮が強くなる気がする。そしていつの日か、教育現場から一切の体罰が無くなる日もくるんだろう。体罰を受け、先生から真剣味や本気・怒気を伝えられた私としては、それがなんだか切ないのである。

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to-fuさん
子供が取っ組み合いの喧嘩をしなくなり、加減の分からない大人が増えたのではないでしょうか。
今回の「40発くらい殴られた」というのも体罰というより最早暴行ですよね。
(被害者側の意見なので実際どうだったのかは定かではありませんが。)
何処までの体罰ならOKかというボーダーラインを設けるわけにもいかないと思いますし、
このままでは体罰が一切禁止されるのも止むなしかなと、子を持つ親としては感じます。
ちなみに私も教師に殴り倒されてきた世代です。体罰=悪とは全く思いません。

というより、社会経験ゼロの人間に子供を教育させてしまう教育制度に問題アリかと。2013-01-11 15:54:10
みやじまりんさん
>痛みよりもなによりも「ガチで怒られた」という記憶が強い。

同じくです。
私も先生にシバき倒されてきた世代です。体罰=悪とは思いません。小学校の頃、女子にいたずらして机に思い切り頭を叩き付けられましたし、中学校は遅刻でビンタ、授業中の私語で蹴り、服装・髪型の乱れでムキムキの体育の先生が竹刀を持って登場などなど…でも痛みというより「ガチで怒られた」記憶が強いのは確か。あれだけ殴られたんですが、確かに今ふと「○○先生元気かのう…」と懐かしさがこみ上げてきました。。2013-01-11 17:30:12
和田
>to-fuさま
そうですねぇ。実際にどの程度の「暴力」があったのやらわかりませんが、加減というか愛情というか、感情任せの仕打ちになってしまうとよくありませんよねぇ。今はどうかわかりませんが、私が小さい頃は友達のお母さんに折檻されるような事もよくありましたねぇ。オオシマ君が友人宅の冷蔵庫を勝手に開けておもっきり友人母にぶん殴られていたのはいい思い出です。

>みやじまりんさま
今になって思い返すと体罰を与えるメリットって先生にはほとんど無いんですよね。体罰を与えてスッキリするって人がいれば話は別ですが「何かを本気で伝えよう」と思わなければ感情的にもなりませんし、体罰だってありえないですものね。私も懐かしさや有難味がこみ上げてきます。そして迷惑をかけた事をに対する申し訳なさが・・・。2013-01-12 04:20:54
パイロットさん
受け止め方の問題なので、これが体罰ってのはないと思います。
そうした意味では、和田さんが昔受けたのは体罰ではなかったのだと思います。
例えば、殴られた事案をネタに、いつまでもネチネチと言われ精神的に追い込まれましたか?
今回のは、一方的かつ継続的に続けたことが問題の本質です。
何事も児童や生徒を中心に考えるべき、それが学校教育ではないでしょうか。
切ないだなんて、和田さんにしては軽すぎる発言に思えてなりません。2013-01-17 14:51:35
和田
>パイロットさま
手をあげる行為は受け取り方はどうあれ体罰だと思います。「殴られた事案をネタに、いつまでもネチネチと言われ精神的に追い込まれ」というのは体罰を通り越してイジメや虐待だと思います。これらが混同されて「手をあげることは全て野蛮でダメなこと」となるのが私は切ないのです。現にそういう流れになってきちゃってますしね今回の事案では。もちろん体罰が時代に合わない行為なのは仕方の無いことなのかもしれませんが、殴られて、殴られた意味を考えて育った私にとっては体罰という伝達手段が悪になるのがやはり切ないのです・・・。2013-01-17 15:01:55