和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

死について

せっかくのお盆なので死生観についての話を陰鬱にねちねちと。

2011-08-15 07:10:13
入力時間 / 13:56

いずれ誰しも訪れる死。虚弱が服を着てるような私はいつも死ぬことばかり考えている(変な意味じゃなくてね)。死後の世界なんて信じていない私にとっては天国も地獄もありはしないし、私が消える事が死だと思っているのですがね。

自分が消える事が死なので、私が死んだあとの世界には興味が無い。死こそが私の人生というタイムラインの終着駅であって、そのタイムラインの先は私には知り得ない世界であり、知る必要もない世界だからだ。なので、私はどうそのゴールを迎えるかがとても大切だと思うの。ゴールした後は関係ないからね。

5分後死ぬとしたら

まずツイートするだろう(笑)どんな内容のツイートにすべきか。「これから死ぬなう」かな。あとは親に死ぬ旨を伝えることと、簡潔にブログで死ぬ事を伝えるくらいが精一杯だろうか。一応遺書は毎年書き起こしてるので遺書を書く必要は無い。

1時間後死ぬとしたら

結構いろんな事ができる。親に会いに行くこともできる。でも移動に時間を使うのは勿体無い。とりあえず電話とスカイプとを並行していお世話になった人に感謝を伝えよう。あとギリギリかもしれないが、動画を撮ってyoutubeにアップしよう。エンコードにかかる時間が恨めしい。

明日死ぬとしたら

明日死ぬとしたら仕事の引継ぎをしよう。いま途上の案件をすべて引き継いでもらおう。現在請けているクライアントに謝罪をして、引継ぎを済ませよう。立つ鳥跡を濁さずと言うからね。あとは開発中の中途半端なプログラムを全部公開しよう。私の遺伝子が少しでも世界の役に立つのであれば。

いつ死ぬか人間にはわからない。今年起きた震災のように、本当に偶然の上で生命は存在を許されているのみ。だからこそ、死ぬことはずっと身近に感じていたい。明日死ぬのと1年後に死ぬのでは、できることも、やりたいことも全然違うんですよね。そして死は予期せず突然訪れるもの。

1年後に死ぬとしたらプログラムを書きたい。だから今日もプログラムを書こう。でもゴロゴロもしたい。そうして「日々」を無駄に浪費してしまう駄目な子なんですよねぇ私。もっと切迫して死ぬと思って生きなくてはならんですよね。まぁそんな風に生きてたら疲れるでしょうけど。

備えあれば憂いなし。と言いますがいつ死んでもいいように備えておきたいもんですね。
私が急逝したら「まとめて消せるエロ画像フォルダ」は削除してください。

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