欲求は断てない
しかしその欲求を知ることはできる。これは私にとって大きな発見だ。
2011-05-29 05:57:02
入力時間 / 07:18
年齢を重ねる毎に欲求が減ってきた気がしてきた。オナニーの回数は10代の頃となんら変りないが、主として物欲などの煩わしい欲求がどんどん削ぎ落ちてきた気がしていた。そしてそれはなぜかと考えてみた。
別に欲求を抑えようと思ったことは無い。可能なかぎり欲求に対して忠実に生きる事が和田家の家風だからだ。でも不思議なもので見るものすべてを求めていた若かりし頃に比べると、何もかもが陳腐に見えて求める気すら起きなくなっている自分がいた。
そこで私は気づいた。欲求とは抑制するものでも抑圧するものでもないと言う事に。欲求とは知るものなのだ。理解すべき対象なのだ。その欲求の根源を知れば自ずと欲求を昇華できる。本当に必要な欲求のみに限定することができる。これは私にとっては大発見でした。
例えば「何かを欲しい」と思ったとき、それをなぜ欲しいかを理解する。そしてそれが真の欲するものなのか、又は自分以外の何かの意志の介在を許してしまっているのか、それを理解すれば無用な欲求に振り回される事が無くなるのだ。
欲求を遠ざけたところで、いつしか心はより強い欲求に囚われてしまう。
でも欲求を真から理解すればもう欲求自体に翻弄される事なんてないんだ。
これ、すごい発見じゃないですかね。
とはいえ性欲、睡眠欲、食欲にはどうやっても抗えるもんじゃないですけどね。
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神の領域なのか、本能のコントロールは難しいですが・・・
なんにせよ真実を求め続けないといけませんね!2011-05-29 18:48:18
私のような俗物が真実なんて崇高な言葉を口にするだけでおこがましいですが、それでも生きている限り追い求めていきたいですねぇ。2011-06-04 19:25:47
一般的に自分の心と自分の体は一対のものと考えがちですが
体と言うものは行動するための道具と考え
心が体に対して指示をすると、体は指示通りに動こうとする
こう考えたほうがいいのでは。
心を養えば体はそれについて行くものと考えます。
それが証拠に
今日は仕事を休もうかな、体がしんどくて動けない、ベットから起きることすらつらい
会社に電話をし欠勤することに了解を取り、電話を切る。とたんに少し元気になりませんか
ましてや好きな彼女や彼氏からデートの誘いがかかったら
「はい、わかった。○○時・・必ず行く」と元気な声が出るでしょう。
これは心のなせる業。
体は正常に動ける状態にあります。
心が病んでいるだけですね。
心が病んでいてはせっかくの一生が台無しです。
会社を休む。これは労使契約違反を問われます。契約違反にならないために
自分自身をコントロールし、ストレスがたまれば自分が解消しなければ
誰もやってくれません。自分自身の責任範囲です。
これを怠り職場に負担をかける行為そのものが間違いです。
ましてやデートなんてもってのほか。
これでは生きていく価値がない。そう思うでしょう。
信用できない人種。そうなってしまうはずです。
世の中の流れや、周囲に感化されやすい判断ミスをあまり罪悪も感じず
バレなければ分からない、なんて心で嘯いてしまいがちですね
些細なことではありません。
心を育てていくには、基本中の基本であると思います。
したがって誰でも頭がよければ、金があれば、大学、大学院と進むのは間違いです。
進むだけの心の成熟が必要です。
心の未熟なものに学問を叩き込むと
キチガイに刃物
危険この上ない。
だから知的犯罪が蔓延する。
私利私欲になり、社会的というより、地球的公害も発生してしまう。
学問をやる前に、心の成長と鍛錬が不可欠のはずです。2011-06-14 17:16:09
健全な精神は健全な肉体に宿るとか、心技一体とかいろいろありますよね。
私は柔道をやっていたのでそういうのを学んだような覚えがあります。結局はメンタルコントロールなんですよねぇ…。2011-06-17 08:31:13
しばらく旅に出ていました。 旅先でもネットは繋がっていたのですが・・・
自宅に帰って、久々に訪問させて頂きましたが・・・
和田殿、アンタ 大人だねぇ~~! ガンジーに似て来たかもよ?
見習います~です。 では。。2011-06-29 21:15:54
ご無沙汰です~。いや~もう出家したいなと思ってるほどです。解脱したいなと(笑)2011-07-04 01:26:35