敬語というプロトコル
敬語について考える機会があった。で、私は常々思っているのだが敬語とはある種のプロトコル的なものなのではないかな、ということ。言葉自体が一種のプロトコルではあるのだけれど。
2025-02-27 22:46:30
入力時間 / 12:53
プロトコルとは外交儀礼の事ですが、コンピュータの分野では専ら通信規格についての事を指します。httpとかhttpsとかsmbとか、異なるデバイス間で「この規格で通信しますよ!」というものですね。
敬語もプロトコルと同様に、人間と意思疎通を図るうえでの通信規格と考える事ができるのではないかなと。敬語と言うと上下関係とか年上年下とかマナーとか、そういった捉えられ方をすることが多いと思うのですが、今ひとつ私は腑に落ちないのです。
言語的コミュニケーションとは大げさに言えば異なる文化間の交流と捉える事ができると思います。私の家ではテレビのリモコンを「タッチョンパ」と呼んでいましたが、それは他の文化圏には理解されません。
そこで必要になるのがプロトコルです。異なる文化圏が交わる際に、共通の規格を用いることで齟齬や衝突・軋轢の発生を防ぐためのものが敬語というプロトコルなのではないでしょうか。
世の中には敬語を使いたくない!という人もいるようですが、私としては敬語を使わないメリットはあるのかな?と疑問に思います。人間がコミュニケーションをとるうえで「私はあなたの敵ではありません」と明言することはとても重要だと考えているためです。
文化や年代を超えて安定した通信ができるプロトコル「敬語」。私は敬語がとても大事なものだと思っています。
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