和田憲幸のブログ

札幌市南区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(40歳)のブログです。

死ぬ権利

生命は生まれながらに自ら死を選ぶ権利を有していると思うが。

2009-10-07 05:02:55
入力時間 / 17:27

亀井氏の殺人発言が世間を賑わせておりますが、そんな最中いま日本では自殺者数が8月までに2万2362人となかなかのハイペースで記録更新なるか!?という状況のようですね。中川さんの真相も藪の中ということで。酒は身を滅ぼしてしまったのでしょうか。

で、私は生命は生まれながらに自ら死を選択する事もありなんじゃないかと思う。宗教では自殺は最大の禁忌なんて言われておりますが、それは命を神が与えてくれたから。神に与えられた命を粗末にするなと。もちろん世間一般でも親から与えてもらった命を粗末にするなとよく言いますよね。

そもそも命とは誰かに与えられたものではない。神から貰ったものでも親から貰ったものでもない。この世界から一時的に借りている時間。言うなれば返却日前にDVDを返すようなものでしょ。生きている事はなにも特別なことじゃないし、それは死ぬ事だって同様に特別なことではない。誰も避けることのできない道なんだから。ほんのちょっとだけ自ら早めるというだけであって。

なぜ粗末にしてはならないのか。逆にその理由を伺ってみたい。死にたいなら死んでもいいんじゃない。どうせ早かれ遅かれ死ぬわけだから。結局「自殺イクナイ!」という輩は往々にして本人の事よりも周囲の人間が悲しむというあまりに自分本位な考えから死を止めているように感じる。別にいいじゃん死んだって。

もちろん自ら死を選ぶならそれ相応の理由は欲しいところだ。イジメを苦に自殺だとかリストラされて自殺なんてくだらない理由で死なれるのは確かにくだらなすぎる。それであればせめて人体実験の献体や臓器移植のためにその命を役立ててほしいものである。死刑に関してもそうだけど。

私の母も何度か自殺未遂をしているが、ようは自殺しようなんて考えてる輩はすで正常ではない。追い詰められていたり、精神的にまいっている場合が多い。死んで解決するわけでも無いだろうに、そういう輩はとかく死にたがるものだ。死んでしまえばその苦しみすら味わうことができないのにね。

この地球では生きていたいと考える多くの人間が殺され、または意図せずに死んでいく。その中でこの日本では今年のたった8ヶ月間だけで死にたい人間が2万人以上もいるという。なんとも考えさせられる話ですよね。生きたいと思う人間にその生命を譲渡できればもっと円満なのにね。

しかし私は死にたいやつは死んでいいと思う。死ぬことすら禁じられては何がなにやらわからない。もう随分前にどうしても死にたいときは他人に迷惑が掛からないよう死になさいと母に言った。どうしても苦しくて、生きることがつらいなら死んでもいいんじゃないか。それで楽になれると思っているのであれば。死ぬことで救われる事もあるんじゃないか。

私も時としてふとした瞬間に死にたくなる時がある。辛いとき、苦しいとき、「ほんとシンドくなったら死ねばいいか」と思うだけで随分と心がスッとするもんである。ある意味、死とは究極。最終到達地点。その先は無い。本当に苦しくなったら自ら死を選択することで苦痛から逃れる事はできるだろう。もっとも、その苦痛も快楽・幸福の類と表裏なんですけどね。

世界が平和になればなるほど命は丁寧に丁寧に扱われて、いつしか社会に死ぬ権利すら奪われてしまう。床に伏し、意識すらない状態で生かされている命にいったい何の価値があるのか。本人はそれを望んでいるのか。何人たりとも他者に生殺与奪の権利は無い。

死ね。死んでいい。それが考えに考えた選択なら胸を張って死ね。
ただ、生きようと思い半ばに死んでいく人間もいることを決して忘れないことだ。

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