馬鹿の論理
私は予てから不思議でならないんですが何で馬鹿がいるのか。
2012-05-27 12:21:23
入力時間 / 11:49
私自身が馬鹿にも関わらずこんな事を言うのも滑稽な話ではございますが、まともな教育受けてるはずなのになんでこんなにも世の中には馬鹿が多いのか。と、疑問に感じることはありませんか。ただ漠然と馬鹿を馬鹿と捉えるのもアレなので私の価値観ではどういう人が馬鹿なのかを考えてみました。
上記の画像はテトリスを模したもの。左が常人で右が馬鹿ですね。
高さは同じ地点まで到達していますが、到達のプロセスが違うということで。
馬鹿は結論を急ぐ
結論を急ぐ。という表現は適切ではありませんが、論理を構築するための材料(情報・知識)が少ないため、どうしても上記画像のように結論に達するまでのプロセスの密度が低い。なんというのかな。本来、思考や表現などは「知識・情報を踏まえて道筋を立てて到達した結果」であるべきだと思うのですが、すぐ「結果」に飛躍しちゃう感じ。
馬鹿は表層しか見ない
前述の通り思考や表現・論理などはすべて積み重ねだと思うんですよ。いろんな材料を綺麗に積み重ねて結論に達するものだと思うんですね。でも馬鹿はその「結論だけ見て判断」したりするんですよね。その奥を覗こうとしないというか。上記画像のように、思考でも表現でもなんでも小さいブロックが積み重なった結果だと思うんです。でも悲しいかな、そういった要素には目を向けない。
音楽でも、映画でも、漫画でも、Webでもなんでもそうだと思うんですよ。全てはストーリー性のある積み重ねであって、その結果が表現であり思考だと思うんですよね。すべては「小さなブロックを集め(勉強・学習・情報収集)」て、「それを組み合わせる(論理構築・創作)」という作業の反復だと思うんです。
賢い人は他の人がどういうブロックをどういう風に使っているかに目を配るし、表層だけを見て物事を判断したりはしない。逆に馬鹿な人はブロックを理解しないで、ただ結果に到達しようとする。というのが馬鹿とそうでない人の根本的な差異なのかなぁと思いました。
それにしても、テトリスってよくできたゲームですね。
TAG
P.1177