和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

認められたい

誰かに認められたい。と思うことはありますか。

2011-12-10 00:44:34
入力時間 / 20:15

認められたいと思ったことが私にあるとすれば、それを望んだのは父を除いては居ないだろう。

誰もが誰かから認められたいという欲求に駆られることがあるだろう。誰かから認められるという事は自分自身の存在意義の証明でもあり、またその誰かに対する忠義の証ともとれる。自分が尊敬や敬愛する人間からであれば尚の事だろう。

私も例に漏れずやはり父から認めて欲しいと思った時期があったと思う。というのも、父は私に対してあまり関心が無かったためだ(たぶん)。父は仕事と麻雀をこよなく愛する人だったので、小さい頃はあまり家で見かけた記憶がない。土曜日や日曜日も父と遊んだ記憶はほとんど無いな。子供の私からするとそんなふうに見えていた父だった。ただ、別にその事をどうとも私は思わなかったが。

母は手放しに私を認めてくれるタイプだったので、かえって父から認めて欲しいと私は思ったのかもしれない。ひょっとすると私にもっと関心を持って欲しかったのかもしれない。案外、私は可愛い子だな。

でもそんな願望もいつか忘れ、私はいつしか「誰かに認められたい」とは思わなくなっていた。なぜなら認められたいという欲求は自身の正当性への懐疑心に端を発するもの。つまり自身の行動や言動の正当性が、自身によって確信されるものであれば、他者から認めてもらおうが、認めてもらわなかろうが関係ないからだ。

こういった思考に至ったのは、父が私を安易に褒めない人だったからなのかなと今では思う。評価を外部に求めたところで、それは自身が至る自身への評価とは別物。最終的にもし認めて欲しいとするなら、それは他の誰でもない自分自身にであるべきだ。

そんな私も32歳。私の記憶が欠落している可能性も多分にあるが、未だに父から褒められたことは無いような気がする。でも父はそういう人だ。そんな父を、やはり今でも私は尊敬し敬愛している。

過保護な母がいて、無関心な父がいて。私は本当に恵まれた両親を持ったものだ。

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