和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

ソーシャルゲームは無いな

ソーシャルゲームが隆盛する中、こういうことを書くのもなんですが。

2011-09-24 06:42:32
入力時間 / 17:31

私はソーシャルゲームってのが好きじゃない。なんというか、パチンコみたいな臭いがするから。いまはまさにソーシャルゲームの時代。大手ゲーム会社もソーシャルゲームに参入し、こぞってユーザから課金ビジネスでウッハウハですよね。まぁそういうの自体が私は苦手なんですけども。

ビジネスとして見た時、ソーシャルゲームには確かに未来があるかもしれない。でも純粋に日本が創り上げてきたゲーム産業を見た時に「ソーシャルゲームはゲーム産業の邪道」と私は言えると思うのよね。

日本はかつてゲーム大国と呼ばれていた。いまその面影はもう無い。でもダークソウルをやって「日本やるじゃん」と思った。これこそが純粋なゲームだって。ダークソウルは「ゲームをやるためのゲーム」であって「暇を潰すためのゲーム」ではない。ソーシャルゲームと本当のゲームの違いは恐らくそこにある。

昔の話は、なんて言うとオッサンくさいが昔のゲームはある意味でゲーム会社とプレイヤーの戦いみたいなところがあった。ファミコン初期のゲームはどれも難易度が高かったし、プレイヤーを悩ませる罠や仕掛けがたくさんあった。でもいつの頃からか、ゲーム産業は「より多くのユーザを楽しませるためのゲーム」にシフトしていくことになる。それは利益を求める企業の取る選択としては当然のことかもしれない。

結果として「誰もが同様に楽しむ」ことができる「ゲームメーカーがユーザーを饗す」ゲームばかりが発売されるようになった。そして日本のゲーム業界は衰退していき真のゲームと呼べる作品が少なくなって今に至るわけだ。

「誰もが同様に楽しむことができる」というのはとても大切な事だけど、問題なのはそこに傾倒してしまうと必然的に作品の品質が落ちるということだ。映画でもそうだが万人受けする映画は興行収入は良いが、必ずしも作品としてみた時に優れているとは言えないのと似ているかもしれない。転じて難解な映画は興行収入には恵まれないが、多くの賞を受賞することも少なくはない。

ゲーム産業がそのとおり産業として特化していくならばソーシャルゲームは今後もっと隆盛するかもしれない。しかしそう考えた時、待っている未来は「ゲーム産業」として決して明るいものにはならない可能性が高いだろう。

企業というものが、利益というものが、未来を曇らせる。これはなにもゲームの話だけじゃない。
「効率的にお金を得る」という思考がよりよい未来を駄目にする。
これは企業だけの話ではなく「消費者自身も本当に価値あるものにしっかり対価を支払う」というモラルが無くなればいずれ世の中は三流品のパチもんだらけになってしまうだろう。まぁ悪貨が良貨を駆逐するとも言うしそれは必然なのかもしれないけど、ちょっと残念ですよね。

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