「楽しさ」を考える
45年間、漠然と「楽しさ」を掘り下げることもなく生きてきましたが、そもそも「楽しさ」とはいったいなんだろうか、ということを考えてみる。
2025-03-14 04:59:56
入力時間 / 17:19
「子曰、之を楽しむ者に如かず」とは孔子の言葉ですが、「楽しい」と感じる気持ち?感情?は一体なぜ生まれ、なんのために存在するか、って考えたことありますか?私は45年目にしてはじめて考えました。「楽しい」という感覚がなぜ人間に実装されたのか、という話ですね。
自身に有利・有益な行動を強化するため
簡単に言うならこうです。生命にとっての生存戦略として有利・有益と判断した場合にドーパミンが出て行動を強化(継続・維持しやすく)するためのものが「楽しさ」です。ドーパミンは機械学習で言うところの報酬ですね。
冒頭の「子曰、之を楽しむ者に如かず」がなぜ成立するかと言えば、楽しいと感じる行為はその行動が本能的に強化・維持されるため、最も効率が高いと言い換える事ができます。
楽しいことでも生存戦略に無関係なものもある
しかし「楽しい」と感じることすべてが生存戦略に関係しているわけではない点が面白いところ。娯楽なんかはまさにそうですよね。そう、「楽しい」という感覚は容易にハックできるためだと思われます。
何を持って「楽しい」と感じるかはドーパミンと密接に関係しており、ドーパミンは報酬予測誤差によって分泌されます。期待値(予測)を上回る結果が得られた際にドーパミンがめっちゃでるそうです。そして期待値がランダムな場合もドーパミンが多く得られるそうです。ギャンブルとかガチャですね。
楽しい、と思わされている
現代社会の娯楽の大半は本質的な意味での「楽しい」ではなく、「楽しいという感覚をハックされて、楽しいと思わされている」と言っても過言ではないと私は思います。「楽しさ」を求めて生活が破綻したり困窮するというのは本質的な「楽しさ」が持つ役割からあまりに乖離している。
楽しさ、は自分でもハックできる
誰かによって「楽しさ」をハックできるのであれば、何を持って「楽しい」とするかは自分でもハックできるということ。自分の人生を有利にするために何をもって「楽しい」とするかを自身で再定義することができれば、より本質的に「楽しい人生」が得られるんじゃないかな、と思います。
社会に蔓延するニセモノの楽しさに惑わされる事の無いよう、より本質的な楽しさを得られる人生を送りたいものです。
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