会社のためか自分のためか
言い換えれば会社のためか自分のためか。
2012-07-13 06:56:18
入力時間 / 15:42
私が若かりし頃、後輩と働く動機について話したことがあった。会社のために働くのか、あるいは自分のために働くのか。後輩は後者で私は前者だった。この考え方は10年経ったいまも変わってはいない。モラルの話に関連して、この「全体のため」か「自分のため」かの違いについて熱く語りたい。
会社のためは自分のため
私は当時から決して会社の犬になりたかったわけではないし、自分以上に会社を愛していたわけではない。しかし、合理的に物事を捉えるならば「会社のために尽力すること」が即ち「自分にとっての利益のみを考えること」以上に自分自身にとって利益になると私は考えていた。
そういった思考に至る理由はとてもシンプルで「会社が在って自分が在る」という順序の問題。会社が無くなってしまえば、元も子もない話なんですよね実際。もちろん転職すればいいんですけど、転職した先でも会社が無くなれば結局のところ根無し草みたいなもんです。つまり「土台である会社が在ってこそ」だから「自分のため」より「会社のため」の方が合理的じゃないですか。
ひいては日本のため、世界のため
ようは土台というか、自分が在るための前提を最も重要視すべきだということは、ひいては愛国心であり世界平和を願う心につながると思うんですよね。これは決して道徳的な意味合いだけではなく、合理的な思考に基づくものだけど、全体が在るから個人が在るわけじゃないですか。自分が在るのは
「自分<和田家<白石区<札幌市<北海道<日本<アジア<世界<宇宙」
のおかげというわけですよ。
何を最も大切と考えるかは火を見るよりも明らかじゃないですか。だって全体のために頑張ることが結果としては自分の在るべき場所の為になるわけであれば、結果として自分のためになるんだから。
労働者や個人の権利とか
いまの世の中は労働者の権利だ個人の権利だと、どちらかというと個人が重要視されがちですが、結果として日本経済が破綻してしまえばギリシャのように労働者の権利だ個人の権利だなんて言ってられないんですよね。企業だって同様で、倒産してしまえばそれまでなんです。だからこそ全体のために尽力することは自分のために絶対になると私は思うんですけどね。もちろん自分に対しての見返りを求める事が目的ではありませんが。
「会社のために働く」なんて言うと今の御時世、社畜なんて言われかねませんが社畜で結構じゃありませんか。自分の働く場所、自分の輝く場所、頑張れる場所のために頑張るなんて本望じゃないですか。
現代社会の個人主義はなんか違うんじゃないかなって私思うんですよ。
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