和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(45歳)のブログです。

浅識の断罪者

久々によい題名だなと自分でも顔がホッコリしております。

2012-01-30 09:43:21
入力時間 / 18:08

過去似たようなことを何度も書いています。こんなのとかこんなのとか。他にもたぶんまだある。が、私は書くよ。せっかく良いタイトルが降ってきたので。

まぁ何のことはない現代社会のレビューやブログやソーシャルに蔓延する浅識の断罪者についてのお話。

よくもまぁそう断じる事ができるよね。と思います。情報発信が容易になったのは善し。今までは知ることが困難だった膨大な情報を手に入れられるようになったことも善し。しかし、私が言いたいのは人間はあくまで無知であって、その事を自覚するまではどこまで言ってもバカだってことだっ!と、自分に言い聞かせたい。ソクラテスさんのおっしゃった「無知の知」ですよ。

前述の通り、AmazonやApp Storeのレビューでも、ブログでも、ソーシャルでも、電子世界上に個人が発信する多くの情報は何かしら「断じて」いる。もちろん自分自身の価値観を発露する事自体がインターネットを形成していると言っても過言ではないという現状を顧みれば仕方ないことなのかもしれない。

何かしら断じる者は、あたかも自身が識者であるかのように振る舞うが、実際は浅識であるという自覚がそもそも無い。というか、自身が浅識であることを自覚していれば断じる事などできようはずもないからね。ソクラテスさん曰く「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢い」という事ですよね。

つまり、この情報社会で何かしら断じる者は浅識であるという仮定が成り立つ。
浅識なのはまぁ良い。しかし!問題はそれが無自覚であるという事にあるのだ。
と、きっと現代社会をソクラテスさんが見たらそう思うに違いない。

私は可能な限り意識して「と私は思います。」と括るようにしている。小心者なので。
あくまでも私見であることを明示するように心がけている。でも多くの人はあたかも自身の意見が大多数の意見であるかのように浅い知識を振る舞うことに躊躇いがない。それは恐らく膨大な情報が容易に手に入るようになったことに依る功罪なんだろう。表層の知識を得ることと知識を修得することは別次元の話だ。

今から2500年も昔の哲学者ソクラテスさんが「無知の知」へ辿りつけたのに、2500年後の現代人はどうやらまだその領域まで辿りつけてないようです。

自身の無知を知ることって大切なことですよね。
浅識な断罪者にならないためには。

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