和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(43歳)のブログです。

性癖の変遷

時の流れとともに性癖って変わっていきますよね。

2011-04-25 04:03:32
入力時間 / 20:31

私の性癖がかなり広範に及ぶ事は過去にも書きましたが、性癖や性的趣向は時を重ねる毎に移り変わっていきますよね。というお話です。下品な話が苦手な人は見ないほうが良いかもしれません。

私はロリから熟女まで幅広くサポートしているわけですが、これは決して物心付いた頃からこうだったわけではありません。歳を重ねていく過程でより広範に広がっていった、進化していったと考えるのが妥当でしょう。

男性諸君ならエロDVDを買いますよね。エロDVDを買って観たときに「あ~ハズレだ」と思うことは少なくない事だと思います。しかし、改めて時間を置いてから再見した時に「グッ」とくることも少なくないのではないでしょうか。つまり同じエロDVDを同じ人間が観たにも関わらず、時間を置くことによりそのエロDVDへの評価が変わるということです。

以前も書いたと思いますが、現代社会の性的趣向の多くはより理性的・社会的な付加価値が必要不可欠です。例えばパンスト。おそらく猿はパンティーストッキングに興奮はしないでしょう。しかし、私はパンティーストッキングに興奮します。それは何故か。パンティーストッキングという価値そのものに対して興奮しているのではなく、それらが利用される・使用されるロケーションを脳内でシミュレートし、そのシミュレートした結果に対して欲情を催していると考えるのが妥当でしょう。

「女子高生」という言葉も同様で実際にそのオブジェクト自体が女子高生であるか否かに関わらず、そのオブジェクト自体が「女子高生」として形容・装飾されていること自体が興奮に繋がっていると考える事ができます。そしてなぜ「女子高生」というトリガーに対して興奮が発生するかというと「女子高生なのにこんなハレンチなことを」と言った実社会との乖離、本来であればそうであるものがそうではない事に対する背徳感が興奮を生んでいるのでは無いかと私は思うのです(※これは和田憲幸の場合です)。

また、例えばAKB48の中の人に似たエロDVDがあったとして、AKB48という社会的に認識された集団の中のひとりに似た人であるからこそ価値が生まれるのであって、AKB48という集団自体が存在しない世界においてはAKB48の中の人に似た人が出演していてもそのエロDVD自体の価値は社会的に評価されない。つまりは社会的な認識・評価自体が性的欲求に対して影響を与えるという顕著な例だと私は思うのね。

このように現代社会に置いての性的趣向の多くは脳内により補完されてはじめて成立する空想の一部だと私は考えたわけです。そのことを前提に置くと、性癖が変遷することの理由が白日のもとにさらされるわけです。

つまり、性的趣向・性癖は自分自身が持ち得る知識・価値観(情報)の鏡であって、自分が持っている知識や価値観が更新されると、性的趣向や性癖もそれに併せてアップデートされるという事の証明だと思うんですね。それは言い換えれば自分自身が情報を吸収したり、社会が変わっていくことで自分自身の嗜好性もともに変わっていくことの証明でもあるのです。

ようは何が言いたいかと言うと、社会環境や自分自身の成長によって自分の持っている価値観はびっくりするほど移り変わっていくということ。自分自身が変わることは、ひいては対外的な評価すべてに波及するということ。そして何かを評価する場合に知識や情報が無いと正しい評価ができないということ。

自分が変わること・変化することは必然であって拒絶するものではありません。
情報を可能なかぎり正しく評価するためには自分自身の変化・進化は必要不可欠ですよね。

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