和田憲幸のブログ

札幌市白石区在住、個人事業のWebエンジニア 和田憲幸(45歳)のブログです。

ブログ離れ

海外のティーンエイジャーの間ですでにブログという文化は死んだらしい。

2010-02-07 15:21:16
入力時間 / 16:17

まぁこれは日本も同じこと。ようは「日記=ブログ」市場はソーシャルメディアに取って変わられる。という事ですね。そうさ。日記書くならSNSでいいんですよ。それがオープンかクローズかに関わらず、自身の身近なコミュニティに対してのアプローチであればSNSに「日記」を書くのが道理というもの。若年層の「日記=ブログ」離れは必然と言える。

だから日記とブログは違うんだって!!と心の中で叫ぼうにも中々どうしてそれは市場が決めること。でもブログと日記を混同してしまってはブログの権威は地に失墜することだろう。だから私は叫ぶのだ。「日記≠ブログ」と。

先日書いた日記≠ブログにKさんのくれたコメント「ウェブログを日記として利用する」という表現はものすごく美しいですよね。すごく的確にビシッと私のハートに届きました。やはり私は表現が下手だ。本当にその通りなんだが。

結局アメブロだってmixiだって、もちろんFacebookだって。一般消費者が書いている情報資産を無償で使っているという側面からすればSNSも巷のブログもやってることはヒデェよなぁ。タダでツールを提供するからタダでコンテンツビルダーを確保してるという構図は世界のどこでも当たり前の話になっている。それを言ったらGoogleも同じだけど。

もちろんそれでお互いがWIN×WINなら全然問題ないんだけどね。まぁ日記ならいいよ。百歩譲って。でも自身の持っている知的情報資産を外部へ共有するメソッドとして巷のブログサービスを使うことには関心しない。トラフィックを無償で大企業へくれてやってるのと同義だからだ。

そうさ。知的情報資産という無形資産に対する捉え方がやはり日本では甘いと思う。甘い。甘すぎる。苦くてなんぼ! 苦くてなんぼ! 苦くてなんぼのコーヒー豆ぇぇ!である。このギャグがわかる人はそうは居ないだろう・・・。

自身が集積してきた情報とは紛れもない資産である。ただそれを外部へ共有するメソッド(手段)が現代ではまだまだ乏しいわけだ。そこでブログが脚光を浴びたにも関わらず歪曲された報道によってブログは日記へと成り下がった。でも本当はそうじゃない。自身の情報を外部へ共有し、かつ自身の思考・意志を表現するメソッドこそがウェブログの醍醐味だと私は思う。

自身の経験・知識の集大成とも言うべき記録から得られたトラフィックを他社に無償でくれてやるなんて構図がまかり通るのもあと数年の話だろう。自身の持つ情報・知識には価値がある。それは紛れも無く資産だ。

それらを加味して考えると「ブログ離れ」という表現は適切ではない。「日記=ブログ離れ」と示すのが妥当。以上のことからウェブログはインターネットの末端、基盤を構築していく上での必要不可欠なプラットフォームへと昇華されていくと私は予見する。

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