私が思う私の定義
自分って何だろう。そんなことを小学生の頃から考え続けている和田です。不思議ですよね自分って。思考としてなにか存在している感じがするけれど、なんとなく不確かな存在。
2022-09-02 15:23:32
入力時間 / 12:29
ということで自分って不思議。で、結論から言うと私にとっての私は「思考と行動」までで、それ以外の部分は私ではないと思っています。いつにもまして何を書いているかわからないけども。
身体は私ではない説
私は身体は借り物だから私ではない説を唱える者です(以前も書いた気がする)。身体って例えるなら自動車とかガンダムみたいなもんだと思うんです。ただの箱というか、自分とは感じない。
なので、自分の範囲はドライバーとかパイロットの位置だと私は思ってるんですよね。そう考えるといろいろしっくり来ることが多いので。「私」はその道具を使おうとする「思考」と実際に使っている「行動」がかろうじて「自分である」と言えるのではないかなと思うのです。
そのように「私を定義」することで、私にとっての不要な責任が減るし、ある意味で自己責任的な部分が明瞭になると私は感じています。
例えば容姿だったり生まれ持っての運動神経なんて自分の責任じゃないじゃないですか。だからその部分は自分じゃないと切り捨ててしまってもよいと思うんです。逆に容姿をよくしようと行動をしたり、運動を頑張ろうとする思考や行動は自分だと思うんです。
まぁ科学的には思考も遺伝や発達の影響を受けているので難しいところではありますが、漠然と自分を感じるよりは切り分けとしてスッキリすると私は考えています。
なんでこんなことを書いているかは謎ですが、私はそのように自分を定義しています。だからなんだっつー話なんですけど。
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