義務の功罪
義務って大事だなと思った和田ですが、義務ってのはとても難しいもので、義務になるとその義務の範囲で動いてしまうようになってしまった!という事を熱く伝えたい。
2020-10-18 10:08:22
入力時間 / 07:48
ということで以前、義務って大事なんだなぁ的なことを書いた和田ですが、たしかに義務によって行動ができるようになったものの、今度はその「義務の範囲内で動こう」という意識が働いてしまっていた!というお話です。
ここ最近は引越し作業とお仕事に追われていて日課をこなせていなかったのですが、ようやく日課を少しづつこなせるようになってきました。しかし、日課と向き合う中で「今日は日課が無いからやらないどこう」みたいな、とてもよろしくない感覚が自身の中に芽吹いている事に気が付いたわけです。
言うなれば受動的な行動になっている、ということ。まぁ日課・義務というものがそもそも受動的な手段だから仕方のないことかもしれませんが、義務によってよしんば行動できるようになったとしても、それによって自身の上限が制限・制約されてしまっては全く意味がない。というか害悪だ。
でも確かに義務ってそうですよね。納税の義務があるから納税するけど、「今年はたくさん儲かったからいつもより多めに納税しよう!」みたいな人っていたとしても極僅かですよね。いや、納税額は多くても駄目だったと思いますけど。
義務や責務って知らず識らずのうちにその範囲を限定することにつながるのだなと、今回日課を自身に課してみて痛感しました。やはり人間、能動的に行動できないと意味ねーんだな。
ただ、それでもまったく行動できないよりは義務でもなんでも行動できたほうが良いことは確かだから、受動的な行動と能動的な行動をうまく組み合わせる事ができればよいな、と思いました。
P.2015