全部自分が悪い
私はたとえそれがどんな事でも「全部自分が悪い」と思っている。例えば今世界を騒がせている新型コロナウイルスも、もとを正せば私が悪いのだと思う。
2020-05-11 04:31:49
入力時間 / 20:40
私がとても勤勉で、ものすごく勉強して、医療・医学の世界で活躍できるに足る人間になっていれば新型コロナウイルスを未然に防げたかもしれない。でも私はそうしなかった。だからこれは私の責任。と、考えると私は気が楽です。
この考え方はどんな事にも当てはまる。自分がもっとしっかりしていれば、努力していれば、別な道を歩んでいれば、と責任の所在を自身に求めば、おいそれと他者に対して批判的になることはできない。これは自身の精神衛生上とてもよい思考だと私は思っている。極端な自己責任論みたいなものですね。
他者を批判するメリットはない
自分以外を批判したり罵倒・中傷しても、自分にとっての利益はほぼ無い。むしろ自身の精神を蝕むというデメリットしかない。誰かを批判することで問題が解決することも時にはあるかもしれないが、それに期待することはとても大きなリスクを伴う。誰かを批判する、ということは責任を相手に求めることと同じですからね。それよりはその責任を自身で回収したほうが、より自分の品質を高めるための近道になるんじゃないかなと私は思っています。
自分を高める手段としての自己責任論
昨今では「自己責任」というと他者を弾劾・糾弾するための手段として用いられがちですよね。私はそれは違うと思う。自己責任ってのは誰かに押し付けるものではなく、自ら負うものだと思っているので。それは自分自身を高めるためであり、自身の精神衛生を保つためでもある。何よりも自己責任という考え方は、思考として美しい(と、私は思っている)。
自らに責任を求めることで、不平・不満の解決はすべて自身の手に委ねられるわけだから、解決のためには自分が成長するしかない。逆にいえば自分さえ成長できればよい。自分以外に期待する必要はなく、ただ自分が頑張ればよいだけ。とてもシンプル。
様々な分野でその分野に人生を賭けた人達がいて、多くの時間・努力が費やされているわけです。私は私の分野以外で、多くの時間・努力を費やしてはいない。だからその分野に多くの時間・努力を費やしている人たちに対して物言うことははばかられる。
もしも不平・不満があるのであれば自身が人生を賭してやればいい。もしその選択がとれないのであれば、やはり自分の人生を賭した事に集中すべきだと私は思う。レコア・ロンド風に言うなら「人の生き方はそれぞれ!他人の干渉など!!」って感じで。
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