正直者は馬鹿を見ない
正直者が馬鹿を見るというが果たして本当にそうだろうか。私は正直者は見ることがないと思う馬鹿を。なぜなら真の正直者は誰がために正直であるわけではなく、自身のために正直であるからだ。
2019-10-19 04:08:26
入力時間 / 16:38
言うに及ばず私は正直者です。そして誠実。そんな自分を愛して止みません。
基本的には自分自身に対して誠実であろう、真摯であろうとする結果が正直者を形成するのであって、誰かや何かのために正直であろうとするのは本道ではないのではないかと思っている者です。
自分自身を足らしめるために正直であろうとするならば、馬鹿を見ることはない。なぜならば正直であること自体がある種の目的であり達成であるためだ。逆に言えば「正直で馬鹿を見た」と考える人は正直である事で対価を得ようと打算的な事を考えている時点で誠実ではないとも言える。
正直であること、誠実であることはその時点で目的を達していて然るべきだと私は思う。それは「正直な自分」や「誠実な自分」を得るための手段に他ならないのだから。
自分を愛するための手段
正直なことや誠実なことは社会の中で益を得るために持つ属性ではなく、あくまでも自分を愛するため、自分を愛するに足る存在とするための手段としての属性と考えるべきだと私は思う。
なので人はみな正直でいいと思う。周囲から見れば「あいつは馬鹿を見てるな」と思われてもいいと思う。それでも正直であり誠実であることは自分自身の人生をより誇らしいものへと昇華してくれるから。
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