神様の思し召し
「思し召し」の意味は「相手を敬って、その考えや気持ちをいう語」らしい。私は神様は信じていないが神様の思し召しはうっすら信じている。
2019-08-15 04:19:23
入力時間 / 06:45
何か自分にとってよくない状況に陥ったとき私は思う。「これは神様の思し召しなのではないか」と。とはいっても神様がいるとは思っていませんが。
神様を信じていないのに神様の思し召しを信じるというのもおかしなはなしですが、自分が立たされた苦境であったり状況が何らかの意図によってもたらされたものなのではないかなと考える事は私にとってのポジティブな解釈。
んだよー最悪だよーと事態・状況に嘆いたところで好転しないのが人生。であるならばその事態・状況を意味あるもの、価値あるものに昇華させてしまったほうが自分にとってプラスが大きいのではないかと私は常々考えている。
ようはどんな状況にも意味や価値を見出すってことなんですけどね。わたしにとってはそれが神様の思し召しという扱いなだけで。クソみたいな状況に光明を見出すというか、光明を血眼で探すというか。
転んでもタダでは起きない精神とでもいいましょうか。人間万事塞翁が馬とでもいいましょうか。何が良いことで何が悪いことかなんて、未来の自分が振り返ったときしかわかり得ないですからね。
少なくとも未来の自分が今を振り返ったときに「あのクソみてーな状況は結果としては最良の出来事だった」と振り返ることができれば最高ですよね。
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