踏みやすい踏み台に
父の他界から今日で2年。今でも寂しいし、会えるものなら会いたい。しかし、確実に思い起こす頻度が少なくなってきている。それが時間というものなのだな。
2019-02-02 21:02:56
入力時間 / 15:25
父が他界したのはちょうど2年前の明朝5時。現実感が無いのは2年経った今でも変わらない。今でも2年前と同じだけ寂しいもんです。ということで父のことを振り返ってみる。
父はかなりの放任だった、よく言えば。関心が無いんじゃない?と思うくらい、私の人生に干渉してこなかった。子を二人持つ今なら、それがただの無関心ではないというのはわかるのだけれど。
助言はするけど手助けや介入はしない。という父のスタンスは私にとって非常に居心地がよく、今となっては目指すべき父親像になっている。そんな父のもとに生まれる事ができたのはとてもラッキーな事だった。
そんな(私にとって)理想的な父の恩に報いるためにはどうすればよいかを考えてみた。
踏みやすい踏み台になろう
子どもたちにとって、この上なく踏みやすい踏み台になる。それが父に対して私が今できる恩返しなんじゃないかな~と考えついた。いろいろ考えると父はすごく踏みやすい踏み台だった。父という踏み台(言い方は悪いけど)があったからこそ、今の自分が居る、そう断言する事ができるほどに。
子どもをより高みに誘いたい気持ちはどんな親でも同じだろう。だからといって無理に子どもを高みにぶん投げてみたり、親が子を抱えて高みに連れていくというのは、私は違うのではないかなと常々思っている。
親として、いい感じの踏み台として、子どもたちの人生に存在できれば結構幸せなことなんじゃないかな。
私がそうであったように、私の子どもたちもそう遠くない未来に私の人生を越えていく事だろう。そうなるように手助けするでもなく、介入するでもなく、踏みやすい踏み台として人生の一助になればいいなと思います。
お父さんはあの世で麻雀でもやっているだろうか。
年月が経つほどにお父さんの子に生まれてよかったと強く感じます。
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