貧困の今と昔の違和感
やや旧聞になりますが貧困JKが話題になってますね。別に貧困JKを叩くつもりはありませんが、現代の貧困ってなんか生ぬるいというか、私が幼少期の貧困ってもっと殺伐としていた気がするんですという話。
2016-08-28 02:37:47
入力時間 / 19:22
私は昭和54年生まれ。小学生時代の友達にはそりゃもう貧乏を絵に書いたような人たちが結構いた。それこそシャーペン盗難事件とかもあったし、いまでは現存してないようなボロボロの家に住んでいたヤツもいた。それに比べると確かに貧困JKの人の生活は豊かに感じるが、では貧困とは一体なんなのか。
相対的貧困と絶対的貧困
というのがあるらしい。「絶対的貧困」とは食うことや生きることが困難な貧困のこと。で、相対的貧困の定義は等価可処分所得の中央値の半分以下ということらしい。このあたりの詳しい情報は貧困率の状況や等価可処分所得とはに掲載されているので気になる人は見てほしい。ざっくり言うと平均的な家庭の半分の所得しかない家庭が貧困となるようです(細かく言うと違うので前述のページを参照のこと!)。
ということで私の思い描く貧困というと絶対的貧困を想像してしまいますが、そうではない貧困もあるというのが現実のようです。それもひとつの貧困なのだとは思うのですが辞書でひく「貧しくて生活に困っていること。」という貧困と相対的貧困はちょっと意味合いに乖離があるんじゃないかなぁとも思います。
昨日生活苦しいヤツは声あげろというデモがひらかれたようですが、み~んな思ってると思いますけど「声上げる暇あるなら働けよ」って突っ込みたくもなるというもの。私ですら中学生時に新聞配達(夕刊のみ)で年間手取り60万は稼いでいましたからね。ちょっと「甘いんじゃないの?」って言っちゃいたい。言わないけどね大人だし。
生きている時代が違うから、言葉のもつ意味が変わってくるのは仕方のないことなのかもしれないけれど「貧困で夢が追えません」と言っている時点で夢は追えないんじゃないかな。やらない・できない理由を挙げるのはすごく簡単だけど、それらの理由を乗り越えてやるから夢は現実になるんじゃなかろうか。
なんにせよ女子高生を攻めるのはお門違いですけどね。攻めるべきは番組と周りの大人と社会全体の考え方なんじゃなかろうか。ということで昔の貧乏ってもっと貧乏だったけど、いまほど浅ましくなかった気がするなぁ。
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