オリジナルの飽和限界点
やや旧聞になりますがオリンピックのロゴマークの件が世間を騒がせているとかいないとか。似てますよね。すごく。
2015-08-07 02:59:17
入力時間 / 14:20
すごく似ていると思います。ただシンプルな作品なだけに、パクっているわけではないんじゃないかな~と私は思いますけどね。このロゴを使うか使わないかの判断はさておき、こういうものがカブることは今の世の中ではまーよくあることなんじゃないかなと。
すでに創作に関してはオリジナルを生み出す余地の無い飽和状態に近い時代に差し掛かってきているのではないかなと私は思います。だってそうでしょう。人類が何十億人も居て、その人達が全員で創作したら「オリジナル」なんてあっという間に無くなっちゃうもの。
とはいえ自分が作ったものがオリジナルなのか、既に前例があるのかを確認するというのも至難の業ですよね。問題の劇場ロゴは商標もとっていなかったようですし、事前に知ることは困難であるように私は感じますが。
何かをつくろうと思っても、必ずそれは過去の誰かが作っている。って時代はちょっぴり悲しいというか可哀想な感じがしますよね。それだけ人類の叡智・情報が煮詰まってきているということではあるのでしょうけれど、人類未踏の地がほとんど現代には無いのと同じように、新しい創作や発見が難しい時代の人たちはちょっぴり不遇だ。
でも「自分と同じ感性の人が他にも居たんだ!」というポジティブな解釈もできるか。
オリンピックのロゴがどうなるかに大した興味は無いが、こういう仕事をする人は大変そうだなぁと本当に思う。
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