馬鹿の「見える化」
馬鹿発見器と呼ばれるツイッターやニコ生など、今の御時世では馬鹿が物凄く「見える化」していると思う。
2015-03-04 17:57:43
入力時間 / 12:04
川崎の中学生殺害事件に関連してSNS上ではいろいろと馬鹿発見器が機能しておりますよね。逮捕された18歳の実名や写真を公開・拡散する者から、なんと自宅に電話をかけたり自宅に訪問する人までいるらしい。それが正義感なのか何なのかはわからないけれど痛々しいものである。
実際にこういった現象を目の当たりにすると「最近の若者は」とか「馬鹿が増えた」と思いたくなるが、実際に「馬鹿」の絶対数が増えているわけではないのだろう。未成年による犯罪数や殺人も実は年々減っているのだ。しかし、情報の「見える化」が進むに連れて「増えている」ように錯覚するというのは不思議なものだ。
15年前はごく一部の知識を修得する事に時間・労力を顧みない者だけがWeb上に情報を発信できた。しかし、今は違う。誰もが等しく簡単に情報をWeb上に発信できる時代になったのだ。ザックリと簡単に言うならば「馬鹿でも情報をパブリッシュできる時代」になったと言うこと。それを歓迎すべきか否かの判断はさておき、馬鹿であったり未成年による凶悪犯罪が増加していると安易に考えるよりは、顕在化していると考える方が正しいと思う。
今回の殺人事件や冷蔵庫に入ったアルバイトの時もそうだけれど「問題が発現」することと「問題が顕在化」する事は本質の異なる事だ。しかしメディアの論調を見るとそれらを一緒くたに扱っていることが私にはどうにも違和感でならない。
今も昔も馬鹿はたくさんいるし、過去に未成年の凶悪犯罪もたくさんあった。もっと言えば何千年も昔から「今の若い者は」とおっさん連中は言っていたわけだ。その本質を蔑ろにして問題を解決にあたろうとすると「SNSが悪い」「テレビゲームが悪い」「アニメが悪い」という間違った問題提起につながってしまうのでは無いだろうか。
元々あったものが見えるようになっただけなのか、それとも全く無かったところから出現したのか。その見極めは大切だと思うんだけどなぁ。
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