罪滅ぼし人生
生れて、すみません。は太宰治さんの有名なアレですが、ホント生まれてきてすいません・・・。
2015-01-31 03:21:18
入力時間 / 17:03
出来の悪い子だなぁとよく自身を思う。故に両親にうっすら申し訳ないなぁという気持ちがある。そういう気持ちが両親にだけかと言われれば、社会に対してもある。こんな人間が生きていてなんか申し訳ないなぁと。生かされてなんか悪いなぁという気持ち。
別に自身を卑下しているわけではないが「私という人間が生きる」というただそれだけの事には、恐らく多くの代償が払われているであろう事は想像に難くない。もちろんそれは私だけの話ではなく、人が生きるということはそういうことであると私は理解している。この世界に存在する全ての何かは単体で完結はできず、決して少なくない犠牲や代償の上にその存在は成り立っているだろう。
という前提で考えれば、やはり生まれてきた事に対して恐縮の念に駆られる。
※「自分なんか生れて来ないほうがよかった」的な話ではないですよ。
生まれてきたことに対して申し訳ないなぁと考えると思いつくのが罪滅ぼし。人生ってひょっとすると生まれた罪を滅ぼすためにあるんじゃないかなとふと思った。生きる・存在するってのは迷惑を周囲にまき散らすような行為に他ならない。
なんにせよ存在を許容してくれる世界というものはありがたいものですね。懐が深いというかなんというか。そんな世界に対してやっぱりちょっと申し訳ないなぁと思う。そんな迷惑かけまくりな世界に対して、生きているうちに少しでも贖罪できるとよいなと思っています。
世界に贖罪する前に、まず眼前の仕事を終わらせてお客さんに贖罪しなくてはならないことは言うまでもありませんが・・・。
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